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翌日になっても、真夜は昨夜の行為を口にしなかった。 みんなと同じく卓を囲み、食事を口にする。ただいつもより袖を長くひっぱっているのは、昨日縛った痕を隠すためだろう。
長男の慎司は、相変わらず三男の真之介をからかっている。真夜へ関心も向けていない。
気付かれてもいいが、この場で揶揄されるのは嫌だった。
食事が終わって兄弟たちがめいめいに出かける。
真夜と慎司も出かけたのを確認し、一番最後に真也は外出。
誰にもばれないよう、隠れて家を出て昨夜と同じ道を通った。
真夜が働く店の近くには公園がある。平日の朝なので、あまり人がいない。ほっと安堵してトイレの個室に入り、持ってきた紙袋からパーカーとジャージを出す。真夜が昨日、洗濯に出したものだ。あの店の甘ったるい香りが染み込んでいる。
いそいそと服を脱いで紙袋につめ、真夜のジャージを着こむ。
洗面台の前に立って、くしゃくしゃと髪を乱した。
半目にしてみれば、似ている顔がそこにあった。
心配なのは少し凛々しい眉である。
持ってきた安いファンデーションで眉を少しずつ隠し、隠し切れないところは前髪で隠した。
真夜独特のだるそうな歩き方も真似して、昨日見かけた通り店の裏口から入った。
人を探してうろついていると、モップを片手にした若い男を見つけた。廊下をせっせと磨いている。
「あの」
マスクをしているせいで、やや声がくぐもる。これも計算のうちだ。
男は真也を見て真夜だと思ってくれたのか、おつかれーッスと間延びした声で答えた。
「店、辞めたいんだけど」
「おっと、急だねぇ……でも前々から言ってたことだし……そうだ」
男はどこかへ消えてすぐ戻って来た。
「昨日言い損ねてたんだけどさ、退職するまでに違約金百万渡せってやつ。昨日で達成されたから、いつでも辞めてくれていいよ。八年間お疲れ様」
手にした紙袋を渡されて、狐に抓まれたような心地になる。
八年という長い期間、ここで働いていたこともそうだが、違約金とやらを払い続けていたことも知らなかった。 一体、兄は何年ここで働かせる気だったんだ。
「まよっち。あのお兄さんのことなんだけどさ」
真也の雰囲気が変わったことに気付かず、男はなおも続けた。
「あんまり関わらないほうがいいんじゃない。この店で働くように言ったのもお兄さんなんだろう?聞いたよ……お兄さんがパチンコで大損して、その金をウチの店長から貸してもらって、返済のために身売りしろって言ったら弟連れてきたって」
「……兄が」
「店長、サディストだからさ〜……おれ、実はアンタが初めて本店に来たときのこと知ってるんだけど、部屋の片づけに入ろうとしたら、失神したアンタを、あの兄さんが嬉しそうに抱きしめてたんだよ……俺ぞっとしたよ……人に思えないよ」
身震いして、軽口をたたいていた男が震えあがる。
苦虫を噛み潰したように、真也は顔を歪めた。口腔に、苦い味が広がる。
「あの人。おかしいよ。ここでもいろんな客みるけど、あんな人、みたことない」
その意見は的を射ている。
じゃあ、と手を振った男に軽く会釈をし、二つに増えた紙袋を持って店を後にした。