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「っ!」


室内に入った途端、息を呑む目の前の男性。黒髪に青い瞳のこの方が、フォンス侯爵なのだろうか。

ハンナは案内をし終えると、出ていってしまった。


私はどうしていいのか分からず、立ちつくす。すると、フォンス侯爵もようやく気づいたのか、口を開いた。


「失礼した。不躾に見てしまい」

「い、いえ」

「私はウェルギウス・フォンスという。話が長くなるから、そこに腰掛けてくれ」

「はい」


私はそそくさとフォンス侯爵が指した椅子に腰掛けた。


「まずは急な婚姻を許してほしい。君を野蛮な男に取られたくなかったんだ」

「えっと、申し訳ありません。私たち、どこかでお会いしたことがあるのでしょうか。そのように言われる覚えがなくて……」


初対面の相手に取られたくない、と言うだろうか。教養がそこまであるわけではない私でも分かることだった。


「あぁ、ダリヤの疑問も最もだな。だが、それには私の秘密を打ち明けねばならない。その、いいだろうか」

「秘密?」

「我がフォンス侯爵家には、ある呪いがかけられている。その理由が分かっていないのだが、何代に一度しか出ないものなのだ」

「けれどフォンス侯爵様はその呪いにかかっている、ということですか?」


先に結論を述べると、怒られるどころか、フォンス侯爵は顔を|緩《ゆる》める。


「あぁ、その通りだ。今からその姿を見てもらいたいのだが……」

「あっ、そ、そうですね。これから私はフォンス侯爵様の妻になるわけですから」


夫、いや家の秘密を知っておく必要があるのだろう。


「妻……あぁ、そうだ。妻になる君に知ってもらいたいんだ。どうしてダリヤを知ったのか。どこで会ったのか。私が君を欲した理由も含めて」


言葉を噛み締めながら、さらに熱の籠もった視線に、私は頷くことしかできなかった。


しかし、フォンス侯爵はその後、しばらく黙っていた。無理もない。秘密を打ち明けるのには勇気がいる。

私も心して置かなくては。フォンス侯爵が傷つかないように。そう思っていたのに、私は……。


「キャーーーーーー!!」


思いっ切り叫んでしまった。

何故なら、目の間にリヴェが現れたからだ。



***



遡ること数分前。意を決したフォンス侯爵は立ち上がり、首にかけていたネックレスを外した。途端、姿が見えなくなり、残った衣服の中から黒い毛並みの大型犬が現れた。


私はすぐにリヴェだと分かった。だって、見間違えるなんて、あり得ない。それくらいリヴェと共にいて、過ごしていたのだから。


リヴェは私の叫び声に、耳と尻尾を垂らし部屋の外へ出ていこうとした。


「あっ、待って!」


リヴェと言いそうになり、グッと堪える。その代わりに私は駆け寄って、その体に抱きついた。


「その、傷つけてしまってごめんなさい。でも、私の言い分も聞いて、ください」


私が何故叫んだのか。誤解されたくはなかった。けして貴方を傷つけたかったわけじゃないことを。


すると、その意図が伝わったのか、リヴェは私から視線を別のところに向けた。扉ではなく、先ほどいた場所に。


「話を聞いてくれるんですか?」

「ワン」


私はリヴェの青い瞳に弱い。離してほしいと目で訴えられると、すぐに手を離してしまうほどに。

そうしてリヴェは服の近くにあったネックレスを、鼻先で器用に浮かせて、首にかけた。瞬間、フォンス侯爵の姿へ。勿論、服が床にあったのだから。


「っ!」


再び叫びそうになる声を、必死に抑えて、私は後ろを向いた。着替える衣服の音が聞こえ、さらに恥ずかしくなる。


「こっちを見ても大丈夫だ」


少し照れくさそうな声に、相手も同じなのだと安堵した。と同時に、優しく手を差し伸べてくれるフォンス侯爵に、私は恥ずかしくなった。

どんな時も気づかってくれる、リヴェと同じ仕草に。


「ごめんなさい。私、自分のことばかりで」

「私はむしろその方がいいんだが。ずっと、誰かの顔色ばかり気にして。色々なものをダリヤは諦めていたから」


私は首を横にブンブン振った。そして、目の前にある手を掴み、強く握る。


「そんなことはありません。私はずっとリヴェに支えてもらっていたから。それなのに、フォンス侯爵様がリヴェだと知った瞬間、今までのことが脳裏に浮かんだんです」

「今までの……こと……?」

「はい。あの屋根裏部屋には衝立がないですよね。私、普通に着替えたり、一緒に寝たり……していたじゃないですか」


思い出すだけで、顔から火が出るようだった。それはフォンス侯爵も同じだったようで、私の視線に合わせてしゃがんでいたのに、顔を背けられた。


「だ、大丈夫だ。着替えは……その都度、見ないようにしていたから。あと共に寝なければ、凍えてしまうのだから、気にする必要もない」

「で、ですが……」

「それに、まだ婚約は済ませていないが、私たちは夫婦になるんだ。共に寝ることも、この肌に触れることも増える」

「んっ」


フォンス侯爵は、リヴェの時のように私の頬を舐める。その仕草がリヴェと同じように感じて、拒否できない。


「嫌か?」

「い、いえ。リヴェがいないと、よく眠れないんです。リヴェがいないと安心……できなくて……」

「っ!」


突然、唇が重なり、そのまま押し倒された。リヴェの時と違って、衝撃が来ないように背中を支えられながら。


「んっ、はぁ」


何度も角度を変えながら、私の唇から離れたくない、とでも言うように荒々しくキスをするフォンス侯爵。私も力が抜けて抵抗できない。むしろ、胸が締めつけられた。


「すまない。つい夢中になってしまった」

「はぁ、はぁ。……いえ、本当にリヴェなんだなって思ったら……私も」

「そうだな。再会した時も、堪えきれずに押し倒してしまった」


そういえば、あの時も唇ばかり……。しかも、人前で……!


「あの、リヴェだってことをハンナとフィルは知ってしたんですよね」

「勿論だ。そのために連れて行ったんだから。ダリヤを迎えに行くのには、リヴェの姿の方が、何かと都合がいい。しかし、話すことができないから」

「でも、人前でアレは……」

「私がどれだけダリヤを欲しているのか、知ってもらういい機会だったと思うが」


反論しようとすると、再び口を塞がれてしまう。さらに顔を胸の上に乗せられ、言葉が出てこない。


「あの日、ダリヤの結婚話を聞いて、居ても立っても居られなくなったんだ。傍に居られれば、このままリヴェの姿でもいい。そう思っていたのが誤りだったと、気づいたんだ」


フォンス侯爵は苦しげに、ブベーニン伯爵邸を追われた日の出来事を話し始めた。


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