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岡崎さん!と、廊下から看護婦の呼び声がする。


「人には、声が大きいと言いながら、自分だってうるさいじゃないかっ!そもそも、何度言えばわかるんだ!私は岩崎だ、岩崎っ!」


岩崎は、ドアを開け、はいはいと、ぶっきらぼうに返事をしながら出ていった。


その姿に、


「悪い人じゃなさそうだね」


と、母が月子へ言う。


「ねぇ、月子。お世話になろう。今だけ、岩崎様を頼らせてもらおう……」


あがいても、どうにもならない事がある。月子に苦労させるなら、恥を偲んでよそ様に頼ると、母は、言った。


どこか、強い口調の母に、月子も覚悟を決める。


そう、今だけ。母の具合が落ち着くまで。


転院して、治療している間、自分は、しっかり働けばいい。


田口屋の二代目とも知り合えた。頼めば、仕事だって、便宜をはかってもらえるかもしれない。


月子独りでは、今を、どうにも乗り越えられない。


母の転院手続きで、たちまち困りきる。


だが、岩崎は、その困り事をやすやすと解決している。


そうだ、頼ろう。


そして、母と暮らす事を考えよう。


「そうだね。どうにもならないんだもんね。岩崎様を、少しだけ頼っても、いいよね」


月子の言葉に、母は頷き、自分が不甲斐ない為に、苦労させてすまないと、泣き出しそうな面持ちで、月子の手をそっと握った。


「母さんは、悪くないよ……私こそ……何も出来なくて……」


「月子は、よくやってるよ。母さんこそ、こんな体になって。それに……西条の家に入ったばかりに……苦労させてしまった……」


母は、月子の為に、西条家で耐えていたのかもしれない。夫を支えようとして、皆に認めてもらおうとして、ではなく、我が子のため、日々、気を張っていたのかもしれない。と、月子は、ふと思った。


そう思うと、余計、何も出来ない自分が情けなくなり、月子は、黙りこんだ。


「……月子、母さん思うんだけどね。岩崎様と意外にお似合いなんじゃないの?やっぱり、月子は、岩崎のお世話になりなさいな」


母は、どこか嬉しそうに、月子へ言うが、月子は、母の、お世話になれ、という言葉に、ドキリとした。


「いや、ですから、御母上。私は、お嬢さんの面倒は見れないのです。とにかく、結婚は、私には無理なのですよ。そもそも、年が離れすぎている。まるで、親子だ。もう、その時点で無理な話でしょう」


ドアを開けながら、うっかり聞こえてしまったと、少し気まずそうに言って、岩崎が戻って来た。


「屋敷から、迎えの車がやって来たそうです。ご準備ください」


岩崎は、部屋の奥へ進み、衣類戸棚の扉を開けた。


「君は、足の自由が利かない。荷物は私がまとめよう。御母上の着替えを……」


月子へそこまで言うと、岩崎は、あぁ!と、また大きな声を出した。


「すまない、私がいると、着替えが出来ないな」


慌てて、部屋から出ていこうとするが、月子がそれを止めた。


「大丈夫です。車とはいえ、少し外は寒いですから、寝巻きの上から、着物を重ね着します」


見映えは多少悪いが、寒さ対策になる。それに、早く身繕いが出来る。


車を待たせているのなら、少しでも急いだ方が良い。と、いうより、急いでくれ、と、面と向かって言う訳にはいかず、岩崎自身が、荷物をまとめると手伝いを買って出たのだろう。


母も、察したようで、ゆっくりと起きあがった。


岩崎は、では、と、言いつつ、細々とした物を風呂敷に包み始めた。


月子は、母が着物の袖を通すのを手伝うが、母は、ポツリと口走る。


「……ねぇ、月子。母さんね、二人は、やっぱり、お似合いだと思うのよ。そんなに年の差が気になるのなら、いっそ、親子になってもらったら?」


「か、母さん?!」


冗談なのか、なんなのか、突然の母の言葉に、月子は、面食らった。それは、岩崎も同じくのようで、


「あのですね!それこそ、あり得ない話でしょう!」


と、いきり立つ。


「じゃあ、やっぱり、夫婦……かしらねぇ?」


「とにかく!それについては、おいおい、ということで!」


たまらないとばかりに、岩崎は、なげやりに返すが、月子はというと、母の言い分に頬を染めていた。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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