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鬱蒼とした森と、樹冠回廊を抜けて差し込む黒き太陽の陽射しが陰影のまだらを成す、最果ての島の真昼。木々の密度が洞窟の密度にも匹敵しているのか、はたまたそれが亥象の”長鼻”の特徴か、長く木霊のように鳴り響く重低音の咆哮が森の5方向から轟いてきた。
それが、ル・ベリと打ち合わせた”合図”だ。
若木をなぎ倒し、巨木の枝や根を踏み崩し、打ち破るような、森全体が軋むかと思うような音が徐々に近づいてくる。その喧騒と鬼迫に驚かされたであろう、鳥の類がバサバサと枝葉を散らしながら飛び立ち、毛皮に包まれた生き物という意味での”け”もの達が逃げ出していく。
多頭竜蛇の海鳴りに及ぶべくもないが、しかし、小動物とて大型獣の怒りの行進に巻き込まれたくはないだろう。
技能【精密計測】を心の中で諳んじながら、俺は個々の母亥象が到達してくる距離を割り出しながら、それを技能【眷属心話】によって眷属達全体と共有していた。
最果ての島の小醜鬼、ムウド氏族の集落は、島でも最大規模の”木漏れ日群生地”に築かれていた。その中央にあるのは他の群生地にあるような、樹冠回廊から落下してきた枝の塊ではなく、巨岩である。
隕石が落ちてきたのか、あるいは何らかの要因で大岩が降ってきたのか、までは定かではない。しかしこの巨岩が樹冠回廊の上から落ちてきたのは間違いなく、大量の枝塊を巻き込んで樹冠回廊に大穴を開けたのだ。
巨岩の周りには、苔むした複雑に絡み合う朽ちた枝塊がぐるりと取り囲んでおり、その”うろ”を利用した住処もムウド氏族では珍しくない。黒き太陽の陽射しも森の中では最も強く差し込む場所であり、ムウド氏族ゴブリン達はレレー氏族の戦士達と比べて、小柄ではあるものの肌ツヤは良いように思えた。
端的にこの地形は、小醜鬼達の天敵である葉隠れ狼が飛び込んで来づらい場所である。木漏れ日群生地としての多種多様な薬草、毒草、毒キノコの存在を別とすれば、天敵を避けられるという意味では一等地のような場所だろう。
レレー氏族を焚きつける上で、ル・ベリはそのことも話したらしかったが……「雌を奪う」ことにしか小醜鬼達は頭が回らないようであり、悪態をついていたのを思い出した。
再度、【精密計測】によって母亥象達の方向を計算する。
そして俺は、率いた俺の眷属達と共に、巨岩の集落を南の3方向から取り囲むように、部隊配置を終えて息を潜めていた。噴酸蛆のベータ、イプシロンの移動が最もネックであったが――丸々とした巨体を丸太のように転げて移動する、という謎の移動法をベータがイプシロンにも伝授したらしく。
戦線獣のガンマ、デルタにそれぞれ転がしてもらいながら、アルファと俺と共にずっと早く予定地まで着いてしまった。
茂みに潜む俺とアルファ、ベータ、イプシロンと周囲には樹上含めて10体の走狗蟲が息を殺してムウド氏族集落にじっと視線を注ぐ。さらに、左右に200mほど離れた位置で、ガンマとデルタが率いる10体の走狗蟲の部隊が伏せており、俺は総力を結集させてこの作戦に臨んでいたのだった。
そして現在、ムウド氏族の警戒は最高潮に達していることが見て取れた。
感覚を研ぎ澄ませてよく見てみれば、そこかしこに、盾と短槍などで武装した戦士が隠れていることが見える。
――それもそのはずで、集落の手前ではさすがに息を潜めさせているが、進軍時に俺はわざと森を荒らすように走狗蟲達を先行させたのである。そして鳥獣を追い払い、特に小醜鬼達が恐れる葉隠れ狼を追い散らした。
森の気配がおかしい、と思わせることに注力したのである。
加えて、可能な限りムウド氏族の偵察や狩猟者と思しき小醜鬼も走狗蟲で威嚇したり、無駄に勇気のある個体は抹殺させて、集落に追い返すようにしていた。その際、ル・ベリから教わった葉隠れ狼の習性である『枝揺すり』を行わせることも忘れず。
これから攻める相手を警戒させ、防備を固めさせてどうするのか、と思われるかもしれない。
しかし、俺とル・ベリの狙いはムウド氏族をレレー氏族と潰し合わせることであった。
ムウド氏族はレレー氏族よりもずっと少なく、150体ほどであるようだが、そのうち戦える成体の雄は60~70と見積もることができる。だが、つい先日、多頭竜蛇が海鳴りの咆哮を引き起こしたせいで野生動物が隠れてしまい、狩猟も数日間、満足にできていない。そのため、普通であればその成体の雄の半数は出払ってしまうが――そんな状態でレレー氏族が全兵力120~30もの戦士で攻め込んでしまえば、ろくな抵抗もできずに制圧されてしまうだろう。
守備兵3倍の法則は、堅固な城壁があってこそ当てはまるものであり、ムウド氏族が根城とする巨岩は確かに異様だが、地形でしかなかったのだ。
故に、俺はル・ベリが亥象達を誘導するために走狗蟲達と連携する場面も利用して、ムウド氏族の危機感を煽っていたわけである。
ある日、縄張りで見たことも聞いたこともない魔獣が突然闊歩しているのを見たら。しかもその魔獣達は、天敵である葉隠れ狼と同じように樹冠回廊まで自由に移動できる敏捷性を持つ。新たな天敵の出現と言っても過言ではなく、原因を探るにせよ対策を立てるにせよ、まずは安全地帯へ引きこもろうとするはず。
そしてそんな中での、森で変事が起きていると確信させるような、亥象達の重低音の怒号であった。
それを合図に――合図と思わされて――緊張の触発が訪れる。
ムウド氏族集落から見て東側、赤い泉を中心としたポラゴの実群生地のある方角。
巨木の間から、張り出した巨樹の根の合間から、次々に浅黒いずんぐりと筋肉の盛り上がった、ギョロギョロとした緑色の眼を剥き出し犬歯を剥いた小醜鬼達、レレー氏族の戦士達が飛び出してきた。
肉食の猿が興奮しているかのような甲高い鬨を上げ、見る間にも20体ほどの”槍持ち”が先陣とばかり、集落に真正面から突っ込んでいく。
だが、警戒を固めていたムウド氏族側の対応も素早かった。わらわらと枝や岩陰、寄り添うような小屋から戦士達が飛び出してくる。さらにいつの間にか巨岩によじ登り、その上に立った一団が、こちらも負けじと雄叫びを上げ、集落全体に何か合図を出している。
そして彼らの次の行動に、思わず俺は目を見張らされた。
巨岩に陣取ったムウド氏族の戦士は槍を持っておらず、細長い竹筒のような物を構えており、その一端を口に咥えたのである。そしてもう一端を、狙いを定めるようにレレー氏族の戦士に向けて、頬を膨らませたように力むや――次の瞬間には数体のレレー氏族戦士が悲鳴を上げ、顔を押さえて転んだり、うずくまって昏倒したのであった。
”吹き矢”である。そしておそらく矢には毒が塗られているであろう。
草木花茸の生存競争が激しい「木漏れ日群生地」に住むムウド氏族は、11氏族の中では最も毒物の扱いに長けている。
その他にも、苔むした枝塊を遮蔽としながら、時折身を乗り出して石や槍を投擲する戦士もあった。彼らの援護射撃を受けながら、氏族長筋と思われる大柄な小醜鬼を中心に、短槍と木盾を構えた戦士の一団が前進し、レレー氏族の攻撃を阻む壁となった。
勇猛果敢に槍ごとその身を突っ込ませ、ムウド氏族戦士を突き殺すレレー氏族戦士もあったが、次の瞬間には吹き矢を食らい、苦悶の表情となって身体が動かなくなったように崩れ落ちる。おそらくは麻痺毒か何かだと思われた。
戦闘が激しく繰り広げられる中、戦士同士の戦線は見かけ上は拮抗状態を作り出していた。盾で守りを固め、後衛の支援を受けるムウド氏族側が多少有利であるようで、戦士が1体倒れる間にはレレー氏族の戦士が3体は倒れている。しかし、レレー氏族は犠牲を厭わないと言わんばかりの前進を敢行しており、後詰めが続々と到着するにつけ、数の有利でムウド氏族を押し込み始めていた。
仲間が死ねば、その持っていた槍を拾って、巨岩の上の吹き矢使いめがけて放り投げるのである。直撃を避けつつも、無理な体勢になったため足を滑らせ、何体もの吹き矢使いが墜落死していく。攻防は激しさを増し、ムウド氏族の犠牲が増えつつあった。
――その様子をつぶさに見守りながら、俺は小醜鬼達に向かって、技能【情報閲覧】を次々に発動させていた。
空撃ちや暇つぶし、ではない。ある現象に気づいたからだ。
大半、9割は単に【種族】の項目しか表示されない。これは従徒とする前のル・ベリやその他の野生動物達と同じだ。だが、その中にあって時折、
【基本情報】
種族:小醜鬼
職業:吹き矢使い
というような表示や、
【基本情報】
名称:ザグ・ダウ
種族:小醜鬼
というような表示であったり、
【基本情報】
種族:小醜鬼
状態:出血多量
というような表示があったのであった。
技能【情報閲覧】は、迷宮領主に与えられた、自分自身の迷宮に属する存在の情報を把握するための特権、というのが俺の理解である。それが、このように”部分的”な形であっても、迷宮外の生物に作用するというのは――とそこまで考えて、俺は前提が違うのではないか、ということに気づいた。
迷宮”外”ではない。
眷属もまた迷宮システムの一部であるならば、今、走狗蟲達を伏せさせているこの『領域』もまた、完全に支配下に置いているわけではないが――迷宮”内”であると定義されようとしている。
そのような解釈もあり得たのだった。
(検証は、この作戦を終えてからだな)
犠牲が加速度的に増大していたムウド氏族側で、新たな動きがあった。
巨岩を挟んだ北西側、巨岩の影に隠れた地点に、20体ほどの集団が移動していたのが見えた。武器を持たず、小さな幼体や足取りのおぼつかない貧弱なものなどがあり、怪我をした戦士に先導されている様子が見えた。
雌や子供を逃がそうとしている、ということかと俺は理解する。
そして、亥象の乱入が遅れているか、ムウド氏族側の士気の崩壊が思ったよりも早かったか、と作戦の修正を意識せざるを得ない。イータあたりに2~3体の走狗蟲をつけて、この”避難者”達を追跡させ、場合によっては亥象の誘導をそちらに行わなければならない。
だが、結論から言えばその心配は無かった。
<恐れ多くも……臆病者のムウド氏族どもが、どこから逃げようとするか、私にはわかっておりました>
俺の疑念がいつの間にか【眷属心話】でル・ベリに漏れていたか、恐縮したような、しかし自信には満ちた凛たる美少年の声色が脳裏に届く。
次の瞬間、”避難者”達の真正面から、巨樹の根を粉砕しながら一頭の亥象が突入してきたのであった。
「ナイスタイミングだ、ル・ベリ」
子亥象を探し求める巨獣の狂乱たるや、襲われる側からすればたまったものではなかったろう。めちゃくちゃに振り回される牙と長鼻に数体が撥ね飛ばされ、さらに数体が踏み潰され、とどめに数体が轢き殺される。
たちまちのうちに狂乱が伝播し、避難者達がパニックに陥った。
そのただならぬ事態に、前線で決死の抵抗を続けていたムウド氏族の戦士達にも動揺が走る。
「今こそだ! 雌を奪うチャンスダ、死ね! 働ケ! 突っ込ムんだ屑どモ! 貴様ラの勲詩をこの島ニ残し、子孫を残せ!!」
魔人族の『種族技能』である【力の言葉】の威力が乗ったかのような、よく通る声。
ただちにそれがル・ベリのものであると俺は気づいた――だが、今ル・ベリが話したのは”オルゼンシア語”である。小醜鬼達にオルゼンシア語が通じるだと? という俺の疑念をよそに、犠牲が増え疲労困憊の兆候が見られたレレー氏族戦士達が再び士気を高揚させた。
続々と到着する戦士は100体を越えており、仲間の犠牲を厭わずムウド氏族の盾持ち戦士達に突っ込んでいく。ムウド氏族側の氏族長筋と思われる2体の大柄な戦士は、最後まで抵抗を続けていたが、片方は全身に槍傷を受けて崩れ落ち、もう片方はレレー氏族側の大柄小醜鬼――木槍などではない漆黒の不気味な金属槍を構えた戦士に討ち取られた。
<あれがレレー氏族の氏族長、バズ・レレーです、御方様>
獰猛な咆哮を上げ、バズ・レレーが死体を刺し貫いたまま、金属槍を天高く突き上げる。
氏族の長が一撃で討ち取られた様子を目の当たりにして、もはやムウド氏族の士気は完全に崩壊してしまったようだった。
そして時同じく、森の奥から怒れる亥象の咆哮がさらに4つ。
それを誰もが耳にして、片や絶望を色濃くし、片や喜色と勢いをいよいよ増す。
――しかし。
勢いを増していたはずのレレー氏族戦士の側で、一部がぎょっと動揺したように緑色のギョロ目を見開いて、|咆哮の方角《・・・・・》へ視線を向けたことを、俺は見逃さなかった。
勘の良い個体もいた、ということだ。
彼らにとっては信じられず、また予想外のことであっただろう。よもやその方向から亥象が突っ込んでくるなど、思っても見なかったことだろう。
傷つけられ悲鳴を上げた我が子を探し求め、狂乱する母亥象達。
彼らは当然、その特徴である”長鼻”で我が子のにおいを探している。その特性は、『夜啼花』を利用したル・ベリによりコントロールされており、たとえば子亥象を誘導する際は彼らの母の体毛が利用されていた。
そのル・ベリが、レレー氏族に合流して行軍するにあたり、何もしないわけがなかったのである。
そこに我が子がいるとにおいによって確信した4頭の母亥象が、四方からレレー氏族の戦士達に突撃してきたのであった。
それだけではない。これはル・ベリにとっても思わぬオマケであったか、母亥象達よりもさらに1.5倍もの巨躯を誇る雄の亥象までもが怒りに任せて突っ込んできた。どうやら、ただでさえ母亥象達の咆哮に苛立たされていた中、寝床を小醜鬼の大人数に踏み荒らされ、怒りが爆発したようであった。
長く鋭い牙で次々にレレー氏族戦士達を刺し貫き、巨体で小醜鬼達を次々に踏み潰して肉塊に変える様は、重戦車そのものであった。
予想外の事態に、ムウド氏族を完全に殲滅しようとしていたレレー氏族の勢いが止められる。
だが、そこでバズ・レレーが動いた。
【基本情報】
種族:小醜鬼
【称号】
『逆境の統率者』
漆黒の金属槍を掲げ、周囲に檄を飛ばしたかと思うや、彼の両脇を固めていた戦士達が動いた。
血縁と思しき大柄な戦士は単独で、その他は3体1組で果敢に母亥象を槍で食い止めにかかったのである。さらに十数体もの小醜鬼達が、勇気づけられたように槍衾を組んで、激怒状態の雄亥象に抵抗してその勢いを怯ませることに成功していた。
だが、生まれた混乱は完全には鎮まらない。その様子を見て、今度はムウド氏族が鬨の声を上げる番であった。
レレー氏族の自滅のような混乱に気づいた戦士達が、避難者の生き残りをかばうように再度、盾を構えて隊列を組んだのである。そして亥象を避けて逃げてきたレレー氏族戦士を突き殺し、逃げ場を塞ぐ形となった。
決死の鬼迫に阻まれ、暴れ狂う亥象とムウド氏族戦士を見比べ、レレー氏族の戦士達を初めて逡巡が襲った。連中が、自らの勝ち戦に強烈な疑念を抱いた、その瞬間。
彼らにとって本当の意味での「想定外」は、まだ始まってもいなかったのだ。
「<全部隊、突撃! アルファ、ガンマ、デルタ、合図を出せ!!>」
【眷属心話】と実際の声と、同時で俺は叫んだ。
俺が待っていたのはまさにこの好機。
俺の声が聞こえようが、もはや関係無い。離れた位置に陣取る戦線獣のデルタ、ガンマにも聞こえるように、俺は喉を潰す覚悟で絶叫を張り上げた。
突き抜ける高揚のまま、俺自身が今まさに前線指揮官であり数多の眷属を率いる迷宮領主であると己の脳髄から足の爪先まで浸透させるように、腹の底から声を張り上げた。
それに応えるように。
俺のすぐ隣に控える戦線獣アルファが、人間や哺乳類の声帯には到底不可能と思われる【おぞましき咆哮】を放つ。
「ギュルリィリャア゛ルォォォオ゛オ゛ォロロォゥ゛ル!!」
中古車の頑固なエンジンがけたたましい駆動音を撒き散らすかのような――そのエンジンを全て”肉”によって形成したものを引き裂き、生命の原初の本能的な快不快の区別もされていない剥き出しそのものの感情を爆発させたかのような【おぞましき咆哮】。
多頭竜蛇のものとも怒れる亥象のものとも、葉隠れ狼の『枝揺すり』とも、根底から何かが異なる。その異様さ、異常さに、脳が気づく前に体中の筋肉と神経が怖気を感じて、小醜鬼達はおろか、亥象までもが動きを一瞬止めてしまったかのようであった。
咆哮に先立ち、噴酸蛆のベータとイプシロンがのそりと動き出していた。2体の後方から、既に樹上に潜んでいた10体の走狗蟲達が次々に跳躍し、躍り込むように小醜鬼戦士達の頭上に降り注ぐ。跳躍しつつ前転する要領で、強靭な後ろ脚の足爪が遠心力とともに振り下ろされ、何体もの小醜鬼が切り裂かれて血が飛び散った。
だが、怯むなと叫ばんばかりの怒号がレレー氏族戦士団の中から聞こえてきた。
見れば、亥象が1頭、全身に槍を突き立てられて斃されていた。やったのは、漆黒の金属槍を持っていない方の大柄小醜鬼であり、ル・ベリ曰く「氏族長の次子」であるらしい――つまり俺にとっては貴重な『因子:血統』が採れる相手ということだ。
氏族長の息子の、威圧じみた鼓舞に元気づけられた小醜鬼達が態勢を整える、が。
「「グジャアァィルルグジュゥォオオロロリィイヤァアル!!」」
アルファに続いて、ガンマ、デルタが抜群のタイミングで【おぞましき咆哮】を繰り出したのはまさにその時であった。
戦場に再び広範囲の電気ショックのような動揺が走る。
と同時に、別方向から迫ったデルタ、ガンマ率いる20体の走狗蟲達がレレー氏族ムウド氏族を問わず小醜鬼という小醜鬼達に襲いかかったのだった。
その先陣を切っているのは、|戦線獣《ブレイブビースト》たるガンマとデルタである。
2体は闘争心のままにその豪腕によって文字通りの意味で”殴り込み”、それだけで数体の小醜鬼が襤褸屑と化しながら空を飛ぶ。次の瞬間には、猛禽の狩りのように後ろ脚の足爪を前方に繰り出すような体勢で走狗蟲達が飛び込んでいく。
氏族長筋による”鼓舞”も虚しく、動揺のため有効な隊列を組めず、恐怖の色に染め上げられる戦士達。
そこに、空気を焦がすような裂音を響かせながら、|蒸気まとう《・・・・・》|緑色の液体《・・・・・》の塊が小醜鬼集団の頭上から降り注いだ。
噴酸蛆による強酸の噴射であった。
しかもただの噴射ではなく、最初から”酸爆弾”で行け、という指示であった。
ベータとイプシロンによる2つの”酸爆弾”の爆心にいた小醜鬼数体が、見る間に全身を|爛《ただ》れさせながら骨と内臓を晒して|溶け《・・》崩れ落ちる。飛び散った酸は、さらに周囲の数体を巻き込み、激痛から凄絶なる悲鳴の大合唱が生み出された。
<良い声で啼きますな! 御方様>
「そうだな、アルファ達の【おぞましき咆哮】にだって負けないな」
戦場の高揚。そして策と戦術が見事に決まった興奮に、俺も思わずル・ベリと共に哄笑を上げていた。それは、血が吹き出し、命が吹き飛ぶという戦場のおぞましさを塗り潰すような、これまで経験したことのない昂りだった――いや、似ている感覚があったか。
――元の世界で、初めて情報収集に成功した時だったか。
『あの巨大企業』の関係者を装い、かつて俺を陥れてくれた一人であった”週刊誌記者”を騙して呼び出して、いろいろな情報を聞き出した。
探偵だかスパイの真似事で、映画やドラマのように派手なものでもない。入念に準備した結果、当然の結果としてその記者を騙せたわけであったが――それでも俺は興奮した。
自分ではない自分になること。
目的のために、自分自身をも騙して操って、そしてそれが見事に決まること。
俺が「計画」それ自体を練ることにハマってしまったのは、それからであったのかもしれない。
この戦場の昂りは、その時の興奮に、少しだけ近かった。
「――御方様」
回想と夢想に片足踏み込んでいた俺を連れ戻したのは、【眷属心話】ではない、『第一の従徒』の生の声色だった。
俺は目だけで横を見やる。ル・ベリは片膝をつき、畏っていた。その所作はとても”半ゴブリン”などではなく、貴人に仕える従者の優雅さと謙虚さを、肘と膝の角度から指先に至るまで体現する見事な振る舞いだった。
はからずも、それで現実感を取り戻した俺は、頷いて応える。
そして、アルファに取り押さえられながら苦悶にごろごろ暴れるベータとイプシロンに向け、技能【命素操作】を発動してその”回復”を促進し始める。可能な限り早く、第二射を準備させたかった。
<連中には、もはや”蛮族”という言葉すら過大評価ですな。|準野生動物《ゴブリン》どもは逃げ出したい思いでいっぱいでしょう>
「”血統”持ちがまだ踏ん張っているな。だが、あいつらが斃れれば潰走する。あいつらを潰さないとな」
デルタとガンマが豪腕を振り回して、ムウド氏族とレレー氏族をもろともに殴り潰していく。
そうして戦線獣が崩した戦列に走狗蟲達が喰らい込み、1体また1体と引き裂いていく。ムウド氏族は既に壊滅していたが――レレー氏族側では、バズ・レレーとその子を中心に円形の抵抗陣形が形成されつつあった。
特に、バズ・レレーが振り回す漆黒の金属槍。それは明らかにこの島の小醜鬼達の技術レベルでは絶対に作れないと、直感できる。異様な雰囲気の黒槍であり、俺は危険を感じていた。
ゼータ、イータ、シータの3体が連携して牽制しているが、他の走狗蟲達は襲いかかるも弾き飛ばされ、手こずっているようであった。
<あれは……”竜神”が鳴いたあの夜に、北の入り江に漂着した槍です>
<多頭竜蛇が与えたのか? 何が狙いだろうな>
<御方様の邪魔となることをしたこと、許すまじ。いずれかの竜蛇も、我が尊母の言葉の通り、哀れなる生き物の本質を暴いてくれましょう……>
ル・ベリの言葉に頷き、俺はバズ・レレーに視線を戻す。
おそらく『称号技能』で、色々と良い技能でもあるのだろう、と思えるほど奇跡的な抵抗であった。ル・ベリの裏切りによる亥象の乱入を受けても、また未知の|おぞましい生物《エイリアン》達の襲撃に対しても、逆境に挫けることの決してない闘志で黒槍を振り回していた。
「あれを打ち砕くには、アルファを反撃覚悟で突っ込ませるしかないか?」
「申し訳アりません。御方様ノ眷属に余計な被害が……」
心から恐縮したのだろう。嫌っているはずの自身の生の声でル・ベリが呻いた。
だが俺とて、眷属や”名付き”達の犠牲は減らしたくとも、それ以上に賽を投げた以上は勝たねばならない。既に、数体の走狗蟲が反撃で重傷を負い、死んでいたからだ。
加えて、戦線獣のデルタとガンマはムウド氏族を粉砕した後に、狂乱する雄亥象を押さえ込みにかかっていた。さすがに、この生きた重戦車を野放しにすることはできない。小醜鬼達があらかた壊滅した今、俺の眷属達にも攻撃をしてくる兆しがあった。だが……ガンマとデルタの2体がかりで牙に組み付き押さえているにも関わらず、狂乱した雄の成体の力の凄まじさよ、戦線獣2体で押し負けているのであった。
――これ以上の膠着は、さらに高くつくことになる。
そう覚悟して、俺はル・ベリに指示を下す。
「お前の母から”魔素”については学んだな? ル・ベリ、お前は”半ゴブリン”ではなく確かに”ルフェアの血裔”である。ベータとイプシロンに向けて、お前の五指を触れろ。そして”魔素”ではなく――”命素“を全霊で操れ」
一瞥。
俺はル・ベリに向け、技能【命素操作】によって集めた命素を、わざと奔流のように叩きつけた。
――ベータ、イプシロンの件は戦場の流れの中での”偶然”だ。
本当は『命素をル・ベリにぶつけること』は、今すぐに”実験”しようというものでもなかった。だが、こうしたからにはついでにあれもしてしまおう。俺は口の端を釣り上げた笑みをル・ベリに向ける。
そして、彼の背中の、せむしのような蠢く大きな瘤を見る。
次に【情報閲覧】によりル・ベリの『種族技能』テーブルを開く。
その中の技能の1つ――俺と出会った時点で既に技能レベル5まで育っていた【第一の異形】に触れた。
――もしも「その者の世界認識が、現実を超克する」というルールが、迷宮領主だけに適用されるものではない、としたら。
――もしも「認識が己の権能を定める」というルールが、より上位の『世界ルール』である、としたら。
「”半ゴブリン”に身をやつしていた、リーデロットの子にして我が『第一の従徒』、ル・ベリよ。お前の在り様は、お前自身が決めるものである。お前の描く真のお前の姿を、強く念じろ。そして諳んじろ」
【命素操作】をル・ベリの――せむしに向けて奔流のように叩きつけ続ける。
俺の行為により、半ば強制的に活性化させられたかのように、ル・ベリのその「体内器官」が強く脈動する気配が伝わってきた。苦悶とも歓喜とも困惑ともつかぬ、うめき声を上げながら、ル・ベリはしかし体勢を崩すという無様な姿を俺の前では晒さない。
なんと、強靭な意思であるか。
――従徒:ル・ベリに迷宮領主権限による『技能干渉』を行いますか?――
その通り、と俺はシステム通知音に応えた。
そしてル・ベリの【第一の異形】に一気に4点の技能点を振るイメージを、命素の奔流と共に彼に叩きつけた。
ぼこぼこと、肉が泡立つようにル・ベリの”せむし”に偽装された魔人の特権が蠢く。それは少しだけ俺の眷属達の進化の営みに似ているようにも見えた。
「最後の1点は、お前自身で決めろ」
技能【第一の異形】を”9点”で寸止めにして、俺はル・ベリから目をそらす。
「乗り込むぞ。アルファ、露を払え。ベータ、イプシロン。苦しいのはわかるがここが踏ん張りどころだ、第二射を用意してくれ。”通常弾”で――回復し次第、噴き付けてやれ」
作戦は、最終段階に移ろうとしていた。
※本作は「小説家になろう」において現在0169話まで、全て先行投稿されています。
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