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どうも、失礼いたしましたと、大袈裟とも言えるお辞儀をしながら、孔明は、地元の名士、黄承彦の娘を見送っていた。
乗る馬車の車輪の音が、ゴトゴトと、いつまでも響いている。耳障りなそれを聞きながら、孔明は、門の前で立すくんでいた。
あれは、確か……。七日前。いや、十日前……。
孔明が、記憶を手繰っている側から、
「一ヶ月《ひとつき》も、返事らしいものを送らないのですから、相手方も、不審に思いますよ、兄上」
さあ、そろそろ、家の中へお入りを、と、声がかかる。
共に住む、弟の諸葛均《しょかつきん》だった。
均は、子細は了解と、言いながら、兄を家へ、誘《いざな》い、食しましょうと、自らが川で釣って来たという、魚料理を勧めてきた。
思えば、孔明、今朝から、何も食べていなかった。さて、弟が用意したのは、何時《なんどき》の食事だろう。
「兄上、もう、夕方ですよ」
「おや、そんなに、時は、流れてしまったのか。今日は、一日、何も出来なかった」
「あの、美女のせいで?」
「あ、いや、それは、さあ……」
兄の歯切れの悪い応対に、均は、クスリと笑いながら、さて、どうやって、この鈍感男に、自らの中に芽生えたモノを気づかせようかと、思案する。
人並み外れた、それも、桁違いの、知識と智力を持つ男も、こと、自身の事になると、さっぱりなようで、部屋の掃除に、食事の支度、時には、身繕いまで、均に、任せきり。
それだけ、孔明は、書物から知識を得ることに夢中だったのだ。
一度、書物を手にすると、全巻読破するまで、寝食を忘れる集中力を見せる。
その間、均が、家の細々な事を行う女房役を請け負うのだが、どうやら、その生活も、終わりを見せようとしているようだ。
ほっとしつつも、少しばかり、寂しさを感じる均であった。が、かの女人ならば、兄の才覚をきっと生かしてくれると、頼もしく思えていた。
自ら、娶《めと》らせられるであろう、男の値踏みに現れる女など、そうそう、いや、何処を探してもいないだろう。
これは、面白い事になる。と、均は、思う。