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翌日の放課後、教室の清掃を終えた私は、旧校舎へと向かった。
旧校舎のフェンス前には、すでに文芸部の部員達が集まっていた。あれほど反対していた梨沙ちゃんまで。
伽々里 梨沙
こっそり私にだけ聞こえるように、梨沙ちゃんは言う。
伽々里 美里
梨沙ちゃんの苛立った囁きに苦笑しつつ、私は他の部員に視線を滑らせる。
全員が学校指定の白いエプロンを身に付けていた。このエプロンは、校内清掃をする時に着用することが義務付けられているものだ。あんなに反対していた梨沙ちゃんも、きっちり髪をまとめあげ、ちゃんとエプロンを着用している。ということは、ここにいる全員がけっこう本気で図書室の整理に挑む気らしい。
しばらく立ち話をしながら待っていると、
青木 界
と言って、段ボール箱を抱えた界先生が現れた。いつもはスーツ姿の界先生も、ノーネクタイでシャツの袖を腕捲りし、全身にやる気オーラをみなぎらせている。
青木 界
界先生はフェンスに付いた南京錠を解除すると、私達を旧校舎敷地内に招き入れた。 間近で見る旧校舎は、フェンス越しに見ていた時よりもずっと現実離れして見えた。 まるで夢の中の建築物を見上げているような、変な感じ。 きっと、誰もが同じことを考えているだろう。
ポカンと口を開けて見上げていると、
青木 界
と界先生が小さく笑う。
青木 界
伽々里 美里
青木 界
伽々里 美里
思わず私は声を上げる。 みんな笑っていた。 梨沙ちゃんも同じように笑っていたが────警戒心が解けていないように感じるのは、絶対に気のせいじゃないはずだ。
青木 界
そう言うと、界先生は入口の鍵穴に、旧式の鍵を差し込んだ。
扉が開く。
建物独特の匂いが、鼻をくすぐる。
まず最初に目に飛び込んできたのは、広い玄関ホールだ。
華やかな外装とは違い、中は学校らしい造りになっていた。過剰な装飾を抑えた、落ち着いた空間。下駄箱などはなく、土足のまま教室の中に入れるらしい。定期的に管理業者が清掃を行っているだけあって、閉鎖された校舎とは思えないくらい綺麗だ。
青木 界
界先生に促されるまま、私達は階段を上った。
手摺に宝珠のような彫刻飾りがついた、レトロ感満載の木製階段だ。古い時代のものにも拘わらず、傾斜はゆるやかで、階段幅も思いのほか広い。先生曰く、西洋建築では階段も見せ場の1つと言われているが、この旧校舎の階段も、大工さん達が知恵を絞ってデザインしたものらしい。
へえー、なんて感心しながら、私達はようやく3階の廊下に辿り着く。
青木 界
界先生が廊下の先を指差した途端、梨沙ちゃんが急に足を止めた。
伽々里 美里
伽々里 梨沙
え?と私が問い返すより早く、梨沙ちゃんはいきなり前方を指差した。
伽々里 梨沙
────その瞬間。
私達の頭上を、何かの黒い影が横切った。
しかも、その影は1つじゃない。
小さな────けれど、不吉とも思える、その無数の羽ばたきは────……
文芸部部員
文芸部部員
とはしたない悲鳴をあげて、私達は腰が抜けたかのようにその場にしゃがみこんだ。
1人だけ平然としていたのは界先生。蝙蝠の群れを見上げて、
青木 界
と暢気に笑っている。
文芸部部員
青木 界
吉沢さん
と吉沢さんが情けない声を出す。 最近、この辺りに蝙蝠が増えたのは、これが原因だったのだ。旧校舎を根城にしていたから、見かける率が高くなったのだ。
しかし、蝙蝠は幸福のシンボルとはいえ、やはり間近で見ると気持ち悪い。とにかく、このままでは動きがつかない。すると界先生が
青木 界
と言う。
青木 界
そうかB級ホラー映画のようなことにはならないのかと安堵しつつ、私達は
文芸部部員
で立ち上がり、次の
文芸部部員
で、廊下の先まで一気に駆け出した。 年季が入った板張りの廊下に、私達のドタバタした足音がこだまする。
青木 界
文芸部部員
ようやく辿り着いた図書室の扉に、私達はベッタリと貼り付いた。
界先生は私達の後ろから、何事もなかったかのようにのんびり歩いてやってくる。それも、とても朗らかな笑顔で。
もしかして────いや、もしかしなくても、界先生って意地悪なのかもしれない!
青木 界
そう言って、界先生はまた旧式の鍵を取り出すと、『図書室』と旧字体の木札が掛けられた扉の鍵を開けた。そして、わずかの隙間から頭だけ突っ込み、
青木 界
と確認するような呟きを発する。 ゆっくりと、扉が開かれた。 私達は目を見張る。 室内は薄暗かった。整然と並べられた背の高い書架が、ようやく目に映るくらいの暗さだ。
清水さん
最初に声を上げたのは清水さんだった。
暗幕のようなカーテンを引き、室内に光を入れると、その清水さんの言葉は疑いようのないものとなった。
図書室の内部は、意外なほど物が散らかっていた。埃もたたず、蜘蛛の巣などもないことから、業者がある程度の清掃を行っていることは間違いないようだが、床には本や筆記用具が散らばり、書架のほとんどは、本がまばらにしか差さっていない歯抜けの状態となっている。
青木 界
淡々と、けれど少しだけ申し訳なさそうに、界先生は語る。
青木 界
ふーん先生達も色々あるんだな、なんて思いつつ、私はふと窓の下に目を向ける。
ちょうど図書室の真下に、真っ赤な薔薇がゆらゆらと風に揺れているのが見えた。
伽々里 梨沙
急に梨沙ちゃんが声を上げた。
伽々里 美里
すると、にわかに梨沙ちゃんの表情は険しくなった。
これはマズイのかもしれないと思い、私は窓からそっと離れる。周りに誰もいなければ、
伽々里 美里
って聞けるのになあ、なんて思いながら。
青木 界
鈴木さん
不意に、鈴木さんが部屋の1番奥を指差した。
鈴木さん
青木 界
鈴木さん
青木 界
何だつまんない、と口々に言いながら、私達は界先生から支給された軍手をはめ、作業に取り掛かる。
並び順は気にしなくていいと言われたので、本は適当な書架に、その他の鉛筆やメモ用紙は段ボールの中に入れる。どのくらい前に閉鎖されたのかは知らないけど、文房具のデザインやメモ用紙に書かれた丸文字、それに落ちている流行本の表紙から、かなり前────
もしかしたら、私が生まれる前から、ずっとこの状態だったのではないかと想像する。
何があったのか、本は酷く乱雑に────まるで手荒にばら撒かれたかの如く床に落ちていた。当然、傷みも激しい。経年劣化から染みが浮き出ているのは仕方ないとはいえ、表紙や中のページが折れ曲がっているものに関しては、何だか可哀想に思えるくらいだ。
私は書架の影に落ちていた文庫本を拾い上げた。
ちょうど太宰治の本ばかり3冊。
『ヴィヨンの妻』、『ろまん燈籠』そして『人間失格』。
どれも読んだことないなあ、なんて思いながら書架に収めようとすると、ふと『人間失格』のページの間から、1枚の小さなメモ用紙が零れ落ちた。
私は、床に落ちたメモ用紙を拾い上げる。 メモ用紙には、赤い字で何か書かれていた。
『耳なしの 山のくちなし えてしがな 思ひの色の 下染めにせむ』
伽々里 美里
色褪せたメモ用紙に書かれた文字を、私はまじまじと見つめる。
きっと、昔、この図書室を利用していた人が書いたのだろう。硬筆のお手本のようなとても綺麗な文字だ。────でも、何か、おかしい。 胸の奥に────記憶の中に、とつぜん得体の知れない靄がかかる。
────そう、この字、どこか見覚えが────……
青木 界
界先生に声を掛けられ、ハッと我に返る。慌てて
伽々里 美里
と言うと、界先生は、私の差し出したメモ用紙に視線を落とした。
青木 界
伽々里 美里
青木 界
────誰にも知られたくない恋。
伽々里 美里
誰?
そう口にしようとした瞬間、とつぜん目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。 それは、本当に突然のことだった。
全身の力が抜け、どこが床なのか分からなくなる。
咄嗟に手を伸ばすと、誰かがその手を掴み支えてくれた。
大きな、男の人の手。
伽々里 美里
名前を呼ぶと同時に、私は目を見張る。
────違う。この人は、界先生じゃない。
霞む視界に、私は、まったく知らない景色を見る。
明るい色の髪と、白い肌。
天使のように美しい、こと男性は────……