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テラーノベル(Teller Novel)
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ガシャン、と皿が割れる音でようやく目が覚めた。靄がかかっていた視界がくっきりと輪郭を取り戻していく。また動きながら寝ていたらしい。皿って良い目覚ましだな。皿は目覚まし、皿は目覚まし……くだらないことを反芻していると、皿を投げられるかのように甲高い声が飛んでくる。

「ちょっと何してんのよ!危ないじゃない!」

「すみません」

仕事において謝罪は挨拶だ。「おはようございます」「良い天気ですね」「そうですね」程度の軽さで「すみません」「すみません」「すみません」と繰り返す。大概の問題は謝れば済む。謝罪に気持ちは必要ない。すみませんの5文字が言えれば良いのだ。本当は「申し訳ございません」だろうが、たかが客相手にそこまで仰々しく言いたくはない。

「謝れば済む問題じゃないのよ!あんたこないだも割ってなかった!?」

「すみません」

ヒステリックな客は相手にするだけ無駄だ。背を向けてしゃがみながら、仕方ないだろ夜行性なんだからと内心で毒づく。日中は人間の何倍も眠い。睡眠薬漬けにされているかと思うくらい眠い。慣れれば平気な奴もいるが、俺は吸血鬼の中でも特に眠気が強い方だと思う。天音には「夜更かししてるせいじゃない?」と嘲笑われ、みくるには「頑張って起きようとする意志が弱いんでしょ」と罵られたが、決してそういうわけではない。と自分に言い聞かせている。

かといって夜勤をやる気はない。よりきついからである。一回深夜のコンビニで働いたことがあるが、あまりに客層が悪く一ヶ月で辞めた。日中の吸血鬼が機能しないのと同じように、夜は人間をおかしくするのかもしれない。

床に散らばった破片を拾っていると久々に指を切った。じわりと溢れ出る血にぎょっとして慌ててティッシュで拭き取る。人間の血は大好物だが、自分の血は漢方薬の次に大嫌いだ。自分の血で自給自足できれば嫌な人間ともわざわざ関わらずに済むのだろう。そう思う度少々虚しい気持ちになる。


厨房に戻るとパート仲間の佐藤さんが呆れた顔の仁王立ちで待ち構えていた。

「まったく、赤城くんはお皿割りのプロねぇ」

「はは、すみません」

「怒ってるのよ。穏やかに喋ってるのは怒る気力もないだけよ」

「はは、そうですか」

こっちだってホール終わりに反省する気力もない為、死んだ顔で笑うしかない。

「新人じゃないんだからいい加減ちゃんとしなさいね。言ってもらえるだけ有難いと思いなさい。そのうち誰も助けてくれなくなるわよ」

「そうですね、すみません」

嫌味を適当に受け流しながら皿洗いを始める。そっちだって仕事中にパート仲間の女達と雑談ばかりしてるくせに、とまた内心で毒づきながら周囲の雑音を水の音でかき消す。

盗み聞いたわけではなく勝手に聞こえてきただけだが、佐藤さんには高校生の娘がいるらしい。

「うちの塩子反抗期真っ盛りでね〜今日も朝から些細なことで大バトルよ〜」

などと似たようなことを飽きもせず愚痴っている。塩子、どこかで聞いたことあるような……そうだ、しずくの口の悪い友達じゃないか。そう気付いた瞬間、なぜか俺は激しくショックを受けた。

常に漠然とした不安がある。考えるだけ無駄だと分かっていながらも考えずにはいられない。いつまでこんなところにいるのだろう、を始めとした負の深淵。将来は大丈夫だろうか、増税、貯蓄、健康、増税、今月も家賃払えるだろうか、払えなかったらどこへ行けばいいのか、天国と地獄一体どっちに、いや死んだら無になるから善行は無意味で……そうやって無意味な思考を延々と繰り返しているうち、佐藤さんは夫の惚気話に入り、俺はまた皿を割った。仕事辞めたい。




帰宅後は寝るかテレビを観るかの2択しかない。以前は小説を読んだりもしたが、最近は疲労のあまり読めない。一行ごとに内容を忘れていく。その点テレビは視覚情報が多い為分かりやすい。

しずくが注射器で採取した血が満杯に入った輸血パックを片手に、ソファにもたれかかり、ぼーっとテレビを眺める。だが限界に達するとテレビの内容すら入ってこない。MHKのドキュメンタリーは校長の長話のように退屈だし、『不倫パラダイス』略してフリパラとかいうしょうもない深夜ドラマは、男と女が別れてくっついてを無限ループしている気がする。みくる似のヒステリック女は、主人公の女と競って略奪を繰り返した挙句、いつの間にか老婆になり、スーパーのセルフレジが分からずキレていた。確かにセルフレジは手間取るよな、というのが本日唯一抱いた感想だった。

夜はいつまでも起きていられるが、少しでも睡眠時間を長くした方が目覚めがマシになる気がして、目が冴えたままでも横になるようにしている。無理矢理寝て、無理矢理起きる。そんな過酷な毎日がいつまで続くのか。

深夜0時。そろそろ寝ようかとテレビを消した時、静かな部屋にピロンとLIMEの通知音が響いた。こんな時間に送ってくる非常識は誰だ。知り合いが揃いも揃って非常識すぎて誰であってもおかしくない。中でも特にくだらない連絡が多いのはナルシストの天音だ。

『【悲報】清香さんと喧嘩した、助けて🥺』

自分の家の問題は自分で解決しろ。他人を巻き込むな。苛立って流れるようにブロックしてやった。

はずだったのだが、五分後。

『既読無視やめて🥹』

こいつの鬱陶しさはブロック機能すら貫通するのか。怒りを超えて恐怖を覚えていると、間違えて下の欄のしずくをブロックしていることに気付いた。自分の操作に一番の恐怖を覚えながら、バレる前に急いで外した。


外したのが間違いだったかもしれない。

夜行性の吸血鬼でも流石に寝静まったであろう深夜3時。せっかく悪夢も金縛りもない比較的良い眠りにつけていたのに、またしても通知音に起こされた。天音は確実にブロックしたはずだ。その次にくだらない連絡が多いのは……

『明日提出のプリント難しすぎるからやって。どうせまだ起きてるでしょ』

藍原しずく、本当にブロックしたままにしておけば良かった。驚くほどわがままな文面と、解答欄がまっさらなプリントの写真。苦戦した形跡は一ミリも無い。面倒がって後回しにしただけのくせに、ギリギリの状況になっても意地でも責任を取ろうとしない。どうしようもない女だ。そんな女を好きになった自分のことが頻繁に分からなくなる。

『それくらい自分でやれ』

だが突き放した言葉を送る直前、手が止まった。こいつは天音と違ってそれほど他人じゃないからか。他人じゃないなら巻き込まれても仕方ないと心の何処かで受け入れているからか。分からないまま、自然とプリントの内容を拡大していた。

数学か。なら余裕で解ける。

数学のテストで学年一位を取ったことは、しずくと出会うまでの生涯の中で唯一、他人から認められたように感じた記憶だ。すぐに何でもこなせる人気者に抜かされたのでたった一回だけの一位だったが、自分にとっては何度でも縋り付く価値があった。

辛い時に縋り付ける記憶。自分も人にとってのそういう一部になりたいと、今になってようやく思い始めたのかもしれない。

そんな答えに辿り着くと同時に、プリントも全問解き終わった。お礼は血でいいからな、と寛大な気持ちで答案を書いた紙の写真を送る。

すると直後、予想外の槍が次々と飛んできた。

『答えだけじゃ写したと思われるから途中式も書いて』

『なんでその途中式になるのかも解説して』

『あと線がぐちゃぐちゃ、ちゃんと定規使って』

『ちなみにもう3枚あるから早くして』

こいつ……怖いものなしか?まずありがとうの一つくらい言え。挨拶でいいから言え。確かに答えだけ書いたり定規を使わなかったせいでバツを食らったことは何度もあるが、今のこいつにそれを指摘する権利はないだろ。人のことを何だと思ってるんだ。人じゃないけど。

怒りで手が震え、ペンをへし折りそうになったが、すかさず指の間に定規を挟んだ。ここまで来たらこっちも後には引けない。完璧な解答と解説で必ず感謝させてやる。

それに既読無視で有名なしずくが速攻で返信してきたことから、珍しく相当焦っていることが窺える。スマホを手元に置いて今か今かと返信を待ち侘びている姿を想像したら、可笑しくて無視できなくなってしまった。

そうやって許諾する時点で完全に絆されている。俺の方が色々な意味で縋り付きすぎている。どうせ3年後とかにはあっさり俺を捨てて若いイケメンに行くんだろうなと思う度、それごときで心底死にたくなる。

でも今、しずくの為に問題を解いているこの瞬間は、不思議とどうにでもなれという気持ちでいられる。投げやりじゃない、どうなっても何だかんだ生きていけそうだという自信。しずくが与えてくれたのは血だけじゃない、問わなくてもはっきり分かる。


静かな部屋がペンを滑らせる音で騒がしい。こんな感覚いつぶりだろうか。一つのミスも無いように丁寧に、かつ素早く、解説は分かりやすく……よほど集中していたのだろう、朝刊配達のバイクが通り過ぎていく音で、空が明るみ始めていることに気付いた。朝刊配達も昔やったけど全く向いてなかったな。

「あぁ、終わった……!!」

最後の余白までびっしり埋め尽くしたところで、痺れた手足を伸ばして床に倒れる。達成感と寝不足で妙な浮遊感がある。ここまでやれば十分だろう。よくやった俺。ぼやけた視界のまま写真を送信し、そのまま気絶するように眠った。しずくに殺されかけた時以来の深い眠りだった。


だが吸血鬼の身体は、短時間の深い眠りより、長時間の浅い眠りの方がだいぶマシらしい。アラームに叩き起こされても、浮遊感という名の目眩はまだ続いていた。

しかもまだしずくからの通知がない。どうせ待つのすら面倒になって寝落ちしたのだろうと思ったが、学校が始まる8時になっても尚。流石のあいつでもここまで感謝しないはずはない。何かがおかしい。俺の睡眠を奪っておきながら未だに眠っているのだとしたらあまりに俺が報われない。

ふらつきながら何とか辿り着いた職場のロッカーで、ようやく会話画面を開いて──背筋が凍った。既読は確かについていたが。それは昨晩の努力の結晶ではなく、一昨日保存したエロ画像だった。30分かけて探し当てたやつだからある意味努力の賜物かもな、と呑気なことを思うくらいに脳は混乱を極めた。

命が必要不可欠なのだとしたら、報われない努力は、果てない苦痛は、一体何の為にあるというのか。




寝不足と動揺のせいで本日割った皿の枚数はまさかの20枚!呆れを通り越してブチ切れた佐藤さんに殴られるように怒られ、ほぼ死にながら帰宅すると、チェーンソーを持ったしずくが待ち構えていた!天にも見放された絶望!良いことなんて何ひとつなかった!


「……たい……」

「何?」

「死にたいって言った……」

しずくの前で正座させられた俺の、蚊の鳴くような呻き声。あまりの情けなさに引いたのか、しずくは無言でゴトンとチェーンソーを下ろしたが、さらりと垂れた銀髪の隙間から覗く眼光は依然鋭いままだ。

「被害者なのはこっちも同じ。何のつもり?腹いせ?嫌がらせ?言いたいことがあるならはっきり言って」

冷たい声がまたしても槍のように後頭部に降ってくる。

「いや、その……」

弁解しようにも上手く頭と呂律が回らない。

「言えないんだ」

「あー、えっと……」

「言えないくらいその人が良いんだ」

悲壮感が滲んだ、聞いたことのない声。ハッとして顔を上げると、しずくは寂しげな目で縋るようにこちらを見つめていた。なんて顔してるんだ。いつも腹が立つほど澄ましたポーカーフェイスのくせに、こういう時だけなんでそんなに──

「──待て。『その人』って誰だ?」

「とぼけなくていいよ。早くその人のところ行けば」

なんかこいつ大きな勘違いしてないか?

「ほんとに分からん、お前こそはっきり言ってくれ」

しずくは言うのも憚られるといった具合に目を伏せ、ぼそりと呟いた。

「……あの写真、シュウさんの浮気相手なんでしょ」

あーーーそう来たか。

「誤解だ、俺は断じて浮気などしていないしする暇も気力も無い」

「じゃああれは」

俺は笑顔で親指を立てた。

「安心しろ、あれは誤送信しただけのエロ画像だ!人っていうか、ネットに転がってたただの部位だ!」

「…………」

きょとんと固まるしずく。数秒の沈黙の後、その黒瞳には再びゆらりと殺意がこもった。

「シュウさん、歯食いしばろうか」

「ア゙ッ死にたくない!!死にたくない!!」

「つい数分前には死にたいとか言ってたくせに、変なの」


結局しずくは全ての欄にトマトの絵文字を描いて提出し、先生にこっぴどく怒られたらしい。

「はは、二人揃ってどうしようもないな」

「むー、シュウさんと一緒にしないで」

頬を膨らませてみせるしずくは、さっきまでチェン○ーマンだったとは思えないあざとさだ。ついもっと揶揄いたくなる。

「未だに解の公式すら覚えてないくせに」

「トマトジュースの公式じゃないならいらない」

「じゃあ今度トマトジュースに関連した問題作ってやろうか」

「トマトジュースはそんなこと望んでないもん」

訳の分からない言い訳を並べ、しずくは拗ねたように背を向ける。

「疲れた、帰る」

「俺も疲れた、寝る」

対抗して背を向けようとして、はたと重要なことを思い出した。感謝、全然されてないじゃないか。適当な謝罪をしてきたせいで、真剣に感謝されることもないのか。自業自得か、と諦めつつ、一応紙を渡すことにする。

「おい、これ。どうせもういらないだろうが」

「……ん」

しずくはそれを賞状のように両手で受け取り、じっと凝視し始めた。そんな真剣に見られても。まだ何か文句があるのか?字が汚いとかか?これでも硬筆得意だったんだけどな──

「ありがとう」

「えっ?」

思わず聞き返すほど唐突な感謝だった。照れ隠しのつもりか、しずくは紙で顔半分を隠しつつ、優しく目を細めた。

「シュウさんの字って、綺麗だね」

けれど髪の隙間から覗く耳は、トマトのごとく真っ赤に染まっていた。

「安心して、ちゃんと読むし、大切にするから」

「えっ……あぁ……」

こっちは何が起こっているのか分からず、まともな返事ができない。しずくは満足そうに出口に歩いていき、ドアを閉める直前、隙間から小さく手を振った。

「じゃあ、良い夢見てね」

本当に何が起こっているのか分からないが、とにかくあざといことだけは確かだった。

玄関のドアが閉まり、部屋が静かになったところで、ようやくじわじわと嬉しさがこみ上げてくる。

「綺麗って……当然だろ、ふふ……」

部屋の真ん中に突っ立ったまま、何度もしずくの言葉を思い出しては、にやけが止まらない。傍から見たら気色悪いだろうが、今の自分にはそんなことを気にする余裕も無かった。

ただただ嬉しい、それだけだった。




翌朝。瞼をこじ開け、全身に力を込め、ヘドバンをするように起き上がったところで、しずくのLIMEが届いた。

『頑張りすぎないでね』

やけに優しい文面と、機嫌が良い時に添えられがちな、自我のあるトマトがトマトジュースを差し出してくる謎のスタンプ。

なぜこのタイミングなのかも、何を考えているのかも、頑張りすぎないとはどの程度なのかも、未来がどうなるのかも、未だ全く分からない。それでもこの記憶があれば。

多分、大丈夫。そう思えた。

吸共ノベル番外編

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大丈夫じゃない

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