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テラーノベル(Teller Novel)
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「私、ヴェネディクティン伯爵と結婚しますわ。」


リビングでフィナンシェの帰りを待っていたショコラたちは皆、驚いて動きを止めてしまった。

そんな一瞬の間の後、父・ガナシュはハッとしてその長女に言葉を返した。


「……そ、そうか‼それはめでたい!ならば色々と手続きが必要だな、すぐに準備を始めなければ!!…そうかそうか、私たちはてっきり……」


彼は言葉を濁して、ちらりと次女ショコラの方を見た。彼女は困惑しているようだ。腑に落ちない、とでも言いたげな様子で……。ようやく見合い話がまとまったというのに、胸に一抹の不安がよぎる……

ガナシュは立会人として見合いの場にっていた、自らの従僕の方を向いた。


「ファリヌ。お前から見て、伯爵はどうだった?」

「はい、伯爵様はそれはそれは見事なものでございました。あの方はまさに、わたくしが求めるオードゥヴィ公爵像そのものでございます。」


うんうんと頷きながら、ガナシュはファリヌの話を聞いている。そうだ、さっき感じた不安など、ただの気のせいに過ぎなかったのだと自分へ言い聞かせるように……

それを知ってか知らずか、従僕は平然とした顔で淡々と続けた。


「それだけに、非常に残念でなりません。」

「―――どう…いう、ことだ⁇」


びくりとしたガナシュは反射的に尋ねた。そして自分の耳を疑った。

……ファリヌは今、「非常に残念」と言ったように聞こえたのだが……

さっきの長女の話と、まるで噛み合わないではないか‼


それに対して口を開いたのは――

立会人ではなく、見合いの主役。フィナンシェ本人の方だった。


「面倒な手続きなど、必要が無いという事ですわ。お父様。……わたくしは、“ヴェネディクティン伯爵夫人”になります。」


ショコラたち家族だけでなく、そこに静かに控えている使用人たちもいたリビングは騒然となった。


「何だって!?い…いや、ファリヌ!報告を!!」

「かしこまりました。」


少々取り乱している主人に言い付けられた従僕は、深く一礼をした。そして事の次第を話し始めた。

この先の話は、ショコラたちが立ち去る前後の事である。





――フィナンシェに「そんなに公爵位が欲しいのか」という趣旨の言葉を投げ掛けられたヴェネディクティン伯爵は、その発言にポカンとしてしまった。


「……私がいつ、公爵になると言いましたか?」


ヴェネディクティン伯爵はポカンとしたまま尋ね返す。するとフィナンシェは彼の返事に驚愕し、問い質した。


「⁉私と結婚するという事は、そういう事でしょう??」

「私はすでに伯爵を継ぎましたから、公爵にはなりません。私と結婚したら、伯爵家に来るのですよ。」


軽く笑いながらする彼の返答は、彼女の理解を超えていた。


「は あ ! ?」


フィナンシェはまたもや立ち上がった。


「嫌ですわゼッタイにイ・ヤ‼大体、これは次期公爵を選ぶためのものでもありますのよ⁉そんな事になったら、この家はどうなりますの⁉」


それを聞いた伯爵は、呆れたように小さく溜息を吐いた。


「貴女がそれをおっしゃいますか?はっきり申し上げて、オードゥヴィ公爵に相応しいと思われる方はもう、いらっしゃらないでしょう。あらかた斬り捨ててしまいましたからね。貴女が。」


返す言葉の見付からない彼女は唇を強く噛む。すると彼は、今度は諭すように言った。


「ここはもう、仕切り直しをするしかないのですよ。幼い縁者から優秀な子を養子にして一から後継者教育をするか、あるいは――…妹君に婿を取る事も…」

「それは駄目よ‼あの子にそんなモノ、私が許しませんわ汚らわしいっ!!」


その言葉を遮ってフィナンシェが叫んだ。これまでで一番の反応だ。それにはさすがの伯爵も驚いた。


「……は?――もしかして、“妹君それ”が全ての原因ですか?」


そう尋ねられたフィナンシェは盛大に赤面した。そしてぼろぼろと涙をこぼし始めた。


「そ、そんなわけ無いでしょうっ!?」


図星だった。

友達の一人もいないフィナンシェにとって、ショコラの存在は彼女の人生のほぼ全てだったのだ。その間に入って来ようとする他人にんげんは、例え誰であろうと邪魔者でしかなかった。それは無論、自分の伴侶となるかもしれない相手であっても、だ。

フィナンシェはもちろん、自分の置かれている立場も状況も充分に理解していた。だからこそ内心焦りもしていた。それでも、どうしても受け入れられない。それが、ここまで来てしまった本当の理由だったのだ。

だが彼女は、その事を絶対に悟られたくは無かった。だから必死に否定した。


「違いますから!!いいですわね⁉そんな事が原因の訳、ありませんから!!」


両腕でみっともなく涙を拭い、フィナンシェは泣きながら物凄い剣幕で伯爵に迫る。その勢いに押され、彼はそれを認めるしかなかった。


「……分かりました。では、貴女が結婚なさらない理由は、他にあるという事ですね。」


そう言うと、伯爵はそれまでとは違う難しい顔をして考え込んだ。そして真剣な表情でフィナンシェに問い掛けた。


「――では…もしかして、貴女にはすでに心にお決めになった方がいらっしゃるのではありませんか?」


目をパチパチと瞬かせ、フィナンシェはポカンとした。


「…………はあ?」


荒唐無稽な推察に呆気に取られ、涙も止まってしまった。だが伯爵は、そんな事には気付きもしていないのか、更なる持論を展開している。


「それなら全ての話を断られている事にも納得が行く。ではなぜその方を公爵に紹介なさらないのか。――…それは、その方がその身分ではないから…つまり、お相手は平民の方、なのでは?」


ヴェネディクティン伯爵の推論は、一見あり得そうに聞こえながらも荒唐無稽に荒唐無稽を重ねていた。「その方向性」は、フィナンシェにとっては突飛……というか斜め上をひた走る。すっかり放心した彼女は、魂が抜けたかのように固まっていた。


一方で、フィナンシェの次の乱心に備えテーブルのすぐそばへと立ち位置を変えていたファリヌも、その話にはさすがに唖然とさせられていた。そして「いえ、貴方が先に指摘なさった事の方が恐らく正解ですよ!」と、よっぽど言ってしまいたい衝動に駆られたのだが、何とか堪えていた。


それから、放心していたフィナンシェは突然ハッと我に返ると座り直し、お茶を口にして冷静さを取り戻すようにと努めた。そして思った。

……とりあえず、今の話に乗ってみる事にしよう。上手く行けば、で押し通してしまえばいい……


「――だとしたら?貴方、どうなさいますの?」


初めの頃のように、フィナンシェは余裕の笑みを浮かべる。

……これは駆け引きなのだ。どちらの言い分が相手に勝るか、という――…


「もしそうであれば、貴女とその方が一緒になれるよう、私がどんな手を使ってでも協力いたしますよ。」

「っ……⁉」


またもや彼女の思惑とは違う答えが返って来た。ここは、相手を焦らせるところだったはずなのに……


「能力が足りないのであれば、こちらで出来得る限りの教育を施しましょう。身分が必要ならば、一度我が家の養子にし、伯爵令息の立場を与えてやってもいい。もちろん後見にもなりますよ。その他にも、困った事があれば何でも力をお貸しいたします。」


フィナンシェは慌てて身を乗り出した。


「まっ待ってください!そんな事までして、貴方に一体何の得が……。公爵家との縁が欲しいという事??」

「縁、は……別に要りませんが。」


伯爵はキョトンとしてしまった。そして、さも当然かのようにそう答えた。


「そんなのおかしいわ!!」


だって、そうではないか。今の話は“こちら”にとっての旨い話ばかりで、あちらにとっては何一つ利点が無い。

百歩譲って、それは奉仕精神だとしよう。だが“こちら”は「公爵家」だ。自分で言うのもなんだが、国内屈指の大貴族である。それに対して“あちら”は「伯爵家」。階級は二つも下なのだ。奉仕精神などとおこがましい。

――…という事が分からない彼では無いはずだ、とフィナンシェは思った。


「では何故なぜ??何のために⁉」


……分からない。全くもって理解出来ない。いち伯爵ともあろう者が、そんな無欲であるわけが無いのに……


「それはもちろん、貴女の事が好きだからに決まっているでしょう?」


伯爵はまたしても、さも当然かのようにそう答えた。さらりと。

その時一瞬、彼女の思考が固まった。


「…好っ!?」


フィナンシェは動転した。

今までの見合い相手たちは皆、当然だった。それで言えば今回だって、そのはずなのだ。だが、ここまでの流れで、ついうっかりとその事が頭から抜け落ちていた……。

だが、おかしい!!


「…でも、それなら、普通は…」


動揺した彼女はしどろもどろになっている。狼狽して何かをブツブツと呟き、違う、そんな事は無いのだと、自分自身に言い聞かせているようだった。

そんなフィナンシェを前に、ヴェネディクティン伯爵は語り始めた。


「――本当は、私は貴女と見合いをするつもりなど毛頭ありませんでした。一人息子ですから家を継ぐつもりでいましたので、婿を探しておられるオードゥヴィ家とは縁が無いと思っていたのです。貴女が幸せであれば、それでいいと。そのためならば私は、私ではない方と一緒になる事を喜んで祝福します。…自分の事はそれを見届けてから、と思っていたら25になってしまいましたよ。……まあそれはいいとして…」


時折お茶に口を付け、合間に自虐のような笑みを浮かべながら彼は語り続ける。そして一呼吸置くように、お茶の器をテーブルへ置いた。それから少し怒ったような顔になった。


「なのに貴女ときたら、優秀な候補者を片っ端から振ってしまって……。もうどうにもならなくなっているではないですか!公爵様が私との話を通されたという事は、そういう事なのです。とにかく、貴女に直接事情を伺いたくて、私はここへ来たのですよ。」

「………。」


フィナンシェは何も答えられなくなっていた。


「貴女が妹君を大事になさっている事は存じています。――あれは確か、ショコラ嬢の社交界デビューの時でしょうか。妹の晴れの舞台で会場中が貴女だけに注目している事に、何ともやるせない表情かおをなさっていましたね。でも、このままではその大事な妹君も困る事になってしまうのですよ。分かりますね?……それで、さっきの質問の答えはどうなのですか?」


伯爵はフィナンシェを真っ直ぐに見据えて問い質した。……その瞳を前にしては、もう誤魔化して答える事は出来なくなっていた。

観念した彼女は重い重い口を開いた。


「…………想い人なんて、いませんわ……。」

「では…」

「でも!!」


フィナンシェは最後の悪足掻きを始めた。……いや、それは嘘偽り無い彼女の本心だった。


「ヴェネディクティン領って、確か港町でしたわよね?王都ここから遠いじゃありませんか!そんな遠い所へ行くなんて嫌よ!ショコラの行く末が心配で心配で…ここを離れたくなんてありません‼」


まくし立てるように“腹”の中にあったものを全て吐き出した。それを側で聞いていたファリヌは「また我儘を」と溜息を吐いたが、そんな事はフィナンシェ自身よくよく分かっていた。


『……ああ、こんなのは、子供の駄々と一緒だわ……』


すると伯爵は少し考えを巡らせた。そしてフィナンシェの方を向き直し、真顔でまさかの提案をした。


「――分かりました。ではしばらくはこの王都に居を構えましょう。それならいいですね?カネル、この近くで仮住まいに使える場所をすぐに探してくれ。」


そう言うと、彼は後ろに控えていた自分の執事にすぐさま指示を出した。


「かしこまりました、旦那様。」


少しも慌てる事無く、執事は返事と共に一礼をした。慌てたのはフィナンシェの方だ。


「⁉ちょっと待って、領地は??貴方、伯爵でしょう!どうなさいますの!?」

「ああ、私はまだ伯爵を継いで日も浅いですから、まだ父に手伝って貰っている事も多々あるんです。そちらの方はしばらく任せても問題はありません。もちろん、領地に戻らねばならない事もありますよ。今でも王都と領地を行ったり来たりが多いですし、どこを主軸に生活するかの問題でしかありません。ただ、いずれは完全に向こうへ行く事にはなりますが。」


まるで大した事が無いかのような言い方……。驚いたフィナンシェだったが、否、そんな事よりも!…この流れは、このまま見合いの話が進んでしまうという事のように思えるのだが……


「で、でしたら、公爵家の別館になさったらいいわ。あそこには今、空いている部屋が沢山ありますのよ‼」


彼女はもう、破れかぶれである。ここまで散々やらかしているのだ、もはや取り繕う必要は無い。――そう思ったのか、非礼ついでとばかりに「伯爵」の矜持に泥を塗るような提案をした。

婿でもないのに、妻の実家に間借りなど出来るわけがない。いよいよ怒り出すに決まっている――。フィナンシェは混乱した頭でそう考えた。が……。


「本当ですか!?それは有難い。公爵様が了承なさってくださるのなら、喜んで!」


伯爵は満面の笑みを浮かべ、二つ返事で承諾した。

立会人のファリヌはついに堪え切れなくなり、口を挟んだ。


「……伯爵様。いくら何でも、それは甘いのではないでしょうか。」


――『フィナンシェの我儘に付き合い過ぎだ』――

その言葉に対して、伯爵は困ったような笑みを浮かべて返した。


「――…そこは……惚れた弱みという事で、許して貰えないだろうか。」


それを聞いた途端、テーブルを挟んだ向こう側にいたフィナンシェは、全身の力が抜けてしまった。ずっと立ちっぱなしだった膝がカクンと折れ、ストンと椅子の上に腰が落ちた。


「……貴方には自尊心だとか、そういうものがありませんの?」

「時と場合によるでしょう。何が一番大事か、という問題ですよ。少なくとも今の私にとって、それはつまらないものでしかありませんね。」


伯爵は、今度は優しく微笑んでそう答えた。


「…………負けましたわ…。――このお話、お受けいたします。」


難攻不落の城、『絶世の美女』が白旗を揚げた。

――ついにフィナンシェを落とす者が現れた!……と、ファリヌは目を見張った。


この時、フィナンシェは思っていた。


『……お父様でさえまだ私に言わなかった事に、あんなにはっきりと踏み込んで来るなんて……。何もかもが想定外だわ。――それに、この人はショコラの事を気に掛けてくれた……。そんな人が私の目の前に現れる事は、もう、二度と無いわ。きっと……』

姉が絶世の美女なので、

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