一瞬の間を置いて、甲高い笑い声が上がる。
「アハハハハハ!!」
狂ったように笑い続けるリズは、泣いていた。
「ハハ、アハハハ!!」
コントロールを失ったのか、笑い続けながら立ち上がる。やがて、ぴたりと笑いが止まった。彼女の赤い目が私を捉える。
「ほんとレナって、バカなんだから」
次の瞬間、リズは自分の長い舌を掴んで思いっきり噛みちぎった。びっくりするほど大量の血が吹き出して、絶叫する。
「リズ!!何するの!!」
転げ回った彼女は、床にガンガンと自分の頭を打ちつけ始めた。痛みを痛みで誤魔化しているみたい。
「リズ、やめて。頭が割れちゃう!」
後ろから縋り付いたが、リズはやめてくれない。前に回り込み、自分の太ももで頭を受け止めた。血だらけの頭を抱えて抱きしめる。ちぎれた舌がびくんびくんと跳ねていた。
「……!……!!」
私の膝で突っ伏した格好で、何かを言った。ゴボゴボと血を吐き出したせいで、よく聞き取れない。何度も繰り返されたその言葉は、ちゃんと届いていた。
「いいの、謝らないで。私怒ってなんかない。私の方こそごめんね。いつも困らせてばっかりで、ごめんね。何もしてあげられなくて、ごめんね……」
もっと私がしっかりしていたら。もっと頭が良かったら。もっと強かったら。全部ないものねだり。でも、思わずにはいられない。どうして今までこんなに無力なまま、のうのうと生きてこられたのだろう?ああ、力が。もっと私に力があれば。
「泣かないで。リズは何も悪くないんだから」
リズの血と涙でぐちゃぐちゃになった頬を、手で拭う。
「私何もできないけど、一緒にいる。ずっと一緒にいる。だからもう泣かないで……」
言いながら目を上げた私は、一瞬そこに鏡があるのかと思った。そして自分が怪我をしているんだと思ってーーそんな幸福な勘違いは、光が閃くほどの間だけ。もう一人の『私』がそこにいる。
「リズ、逃ッ……!!」
逃げてと叫ぶより、『私』がリズを薙ぎ払う方が早かった。
「キャアッ!!」
何かが折れる音と共に、リズが跳ね飛ぶ。
「リズッ!!」
「れ……な……」
「!!」
邪魔者を排除した『私』は、のっそりと這い寄ってくる。逃げ……ううん、それより彼女を……。だが腰が抜けたのか、全然足に力が入らない。尻もちをついたまま、後退った。それを追って、さらに距離を詰める。
「あァ……」
匂いを確かめてその顔を寄せーー
「!」
急に身を捩った。見ると、リズが背後からお化けに掴みかかっている。
「レナ、逃げッ……!」
言葉は途中で断ち切られた。お化けは自分の首に掛けられた彼女の手を掴むと、力任せに放り投げる。リズの体が床に落ちて、また何か嫌な音がした。
「いやッ、リズ!!」
這って彼女の元へ向かおうとした私の前に、ゆらりと赤い影が立ちはだかる。
「あ……」
「レ……ナ……」
お化けの興味は私にしかないようだ。放り捨てたリズには見向きもせず、見上げる私に、舌を手を伸ばした。
「!!」
それでもやっぱり触れることは叶わない。彼女が再び、背後から『私』に喰らいついていた。
「!」
背後から両腕ごと抱き込み、『私』の動きを封じる。お化けも必死に暴れるが、その体勢ではうまく力が入らないのか腕を外すことができない。そのまましがみついて、『私』を締め上げていく。
「グアッ……!」
軋む背骨に『私』が悲鳴を上げた。苦しそうに呻いて、天を仰ぐ。喘ぐように開かれた口の中で、舌が鎌首をもたげるのが見えた。
「だめッ!リズ、逃げてッ!!」
私が叫んだのと同様に、舌が矢の如く飛び出す。その切っ先は、背中からリズの肺を貫いた。彼女の口からごぼっと新しい血が溢れる。顔を歪ませたが、それでも手を離そうとしなかった。それどころか、さらに腕に力を込めていく。目を閉じて、深く深く『私』を抱きしめる。その姿はまるで、何かを祈るようで……なぜか神々しい。
「ウ、ガアアァッ!!」
いくら痛めつけても離そうとしないリズに、お化けが苛立ちを募らせた。業を煮やしたのか、その舌が彼女の背中から引き抜かれる。そしてムチになった舌は、首に巻き付いた。
「リズ、やめて。もう逃げてえッ!!」
泣き叫ぶ私の声にも、リズは目を閉じたまま手を離そうとしない。長さを増した舌が幾重にも巻き付いて、首を絞めあげていく。やがてミシッと何か軋む音がした。
「ーーレナ」
ふっと私の名を呼んだ。
首を絞めあげられ舌を失った状態では、その声のほとんどが言葉になっていないのに、不思議とちゃんと聞き取れた。痛めつけられ、歪んでしまった顔で私を振り返る。そして、いつもの眩しい笑顔を見せてくれた。それは私の太陽。私の世界を照らす、一つの光。
「私たち、ずっと友達だよね?」
月光の差し込む伽藍堂の部屋に、濡れた音が響き渡った。
引きちぎられたリズの頭が床に転がり、体から赤い血柱が噴き上げた。その光景は、まるで悪い冗談のようで……悲鳴も涙も出ない。ただ体から力が抜けて、ゆっくりとその場に沈み込んだ。もぎ取られた頭から赤い血溜まりが広がって、その勢力を増していく。私は、瞬きもせずにそれを見ていた。
「れな……」
赤い口がつたない発音で私の名を呼ぶ。汚れた足が床の血をべしゃりと踏んで、こちらに迫る。一瞬いろんな感情が脳をよぎった。けれど多すぎて、どれも途中で弾けて消えてしまう。
だだ腑抜けになって座り込み、広がっていく血溜まりを凝視していた。
「れぇなあ……」
べしゃり。赤い私が笑顔を浮かべて近づいてくる。近づいてくる。近づいてくる。もう少し。もう少しで私に触れる。けれど急にお化けは悲鳴を上げ、後ろに飛び退いた。涼やかな音が鳴って、すすけたコインが膝元に転がる。
「だから近づくなと言った……」
背後から声がかかった。苦しそうな苛立ったような悲しそうな、いろんなものが混じった声だ。
のろのろと振り返ると、いつのまにかフレディが背後に立って銃を構えていた。苦渋に満ちた視線は赤いお化けに注がれ、私を見ようとしない。
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