コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
アラームが鳴り、目を覚ました。ああ、また朝が来てしまった。今日という日が始まってしまった。私はカーテンを開けることなく起き上がり洗面所の前で立ち止まる。そして今日も鏡の前で練習をしてからリビングへ向かった。ダイニングテーブルの上には漢方が何袋も置いてある。私の食後の薬だ。口の中に苦みが広がり、美味しかった朝ごはんが台無しになる。テレビ番組のアンケートに協力して答えている女子高生3人組をみて、私は昔のことを思い出した。
私の家は、私が小さい頃に両親が離婚し、お母さんと2人で暮らしてきた。最初の方は順調に暮らしていた。だけど、私が勉強についていけなくなった3年前から、母は私を責めてくるようになった。
朝ご飯を食べ終えると、学校へ行く準備をして、家を出た。教室の前でもう一度練習をした。扉を開き、「おはよう!」と、いつもと変わらない挨拶を交わす。大丈夫。ちゃんとやれてる。仲の良い友達にも挨拶をしようとしたとき、彼女が思い詰めた顔をしていることに気づいた。「どうした?なんかあった?」と聞くと、彼女は口を開いた「推しのライブ、落選したんだ…」ふざけるな。私の中で怒りが生まれた。すると彼女はとどめを刺してくるかのように言った。「もう死んでもいい」と。怒りはMAXに達し、何度も練習したはずの笑顔は一気に崩れた。私はそっかとだけ言い、席に着いた。今考えれば私はあの頃からうつになりかけていたのかもしれない。彼女とはその後も仲良くやっていくつもりだった。
だけどある日、私は彼女の前で落ち込んだ表情を見せてしまった。彼女は、「大丈夫?なんかあるなら私に話して!」と言ってくれた。嬉しかった。信頼できる友達だったから私は、勉強についていけてないことに対するお母さんの態度について話した。私の気持ちも、全部。だけど私は、彼女に心配をかけたくないと思い、練習通り、口角を上げて話した。そのあと彼女に言われたことは今でも鮮明に覚えている。「ふーん。そんなことか。笑ってるし、そんな悩んでなさそうだね。」と。勇気を出して話したことに対してそんな返事をされたことを忘れるわけがない。思い出すと今でもイラついてくる。推しのライブに落ちたくらいでめそめそしてるやつにだけは言われたくない。それと同時にショックを受けた。何かあったら助けてくれると思っていた友達だったのに。
ご飯を食べ終わった私は再びベッドに潜り、YouTubeを開く。私の好きなYouTuberは画面の中で買い物企画をしていた。久しぶりに私も買い物がしたいと思った。およそ2年ぶりに外に出ることを決意した私は、少しワクワクしていた。玄関のドアに手を伸ばそうとしたその瞬間、後ろからお母さんの声がした。「うつ病の人が外に出るなんて何やってるの!」いつになれば私は解放されるんだろう。だけど私は鏡の前で練習した通りの顔で振り返り、「だよね!やっぱり私なんかが外に出るべきじゃないよね!」と強がった。部屋に走って戻った。涙が止まらなかった。枕の綺麗なグレーは涙が滲み、黒くなっていた。わかってる。お母さんは私のことを心配して言ってくれてるんだ。そう自分に言い聞かせるしかなかった。
2年前、私は不登校になり、引きこもりになった。病院の先生にはうつ病と診断された。そこからだ。お母さんの様子が変わったのは。私がお皿を洗おうとしても、掃除をしようとしても、何をしようとしても「うつなんだから休んでおきなさい。」そればっかり。心配してくれているのはわかってる。ずっと私は何かに縛られているようだった。そのせいで私は何もできないまま17になってしまった。
もう誰も私の気持ちを理解してくれる人なんかいない。ニュースのうつ病特集も、結局は全部他人事で、本人の気持ちがわかっている内容とは思えない。なんで自分ばっかりこんな目にあわなきゃならないんだ。いっそ死んだ方がマシだと思った。きっと私が死んでも誰も悲しまないだろう。だってみんな私のことを他人事に捉えて手を差し伸べてくれなかったんだから。それか私が死んで、自分があの時私を助けなかったことを後悔して泣けばいい。
そんな負の感情ばかりが私を襲い、体調は悪化する一方だった。ダイニングテーブルの上の薬は日に日に数が増えていくばかりだ。
お母さんのお金を盗んでやろうだとか、お皿を割ってやろうだとか、負の感情にまみれた私は、どんどん性格も悪くなっていった。そんな自分も嫌いで、どれが本当の自分なのかすらわからなくなった。こんなくそな性格の私なのか。いつも嘘の表情を浮かべている私なのか。それともまだ出会っていないのか。考えれば考えるほどストレスは溜まるばかりである。
負の感情を消し去るために私は悪口や自分の思いを匿名でSNSに書き込んでいった。ある日、1通のメッセージが届いた。“あなたは何か努力しましたか?”正直ドキッとした。私は自分のことをかわいそうだと思い込んで他人のせいにしていたのだ。本当はそのことに気づいていた自分がいた。だけど、今までそれを見て見ぬ振りしてきたのだ。そりゃそうだ。他の人が自分の気持ちなんて理解できるわけない。当たり前のことだ。なのに私は理解してもらうことをただ要求していた。嘘の笑顔で誤魔化して向き合うことから逃げてきたんだ。自分から意見を訴えようともしなかった。1番他人事だったのは自分ではないか。このままではいけないと思った。お母さんに思い切って話をしようと思った。鼓動が高鳴る中、真剣な顔で、全部話した。勉強ができなくて責められるのが嫌なことも。うつのせいでお母さんに縛られ続けてきたのが苦しかったことも。ずっと無理して笑っていたことも。自分がどんどん嫌いになったことも。お母さんは泣いて謝った。私は話したことを後悔しなかった。それからお母さんは私の意見を尊重してくれるようになった。何日かたったある日、お母さんと買い物に行った。すごく久しぶりの太陽はとても眩しく、気持ちよかった。
少しずつ学校にも行けるようになった。久しぶりの登校初日。少し不安があった。教室の前で練習をしてから扉を開けた。本当は練習しないで入ろうとしたけど、また否定されることが怖かった。久しぶりに会うクラスメイトの顔は以前と変わらないままで安心した。みんな私に声をかけてくれた。私が来なくなった理由を尋ねる者はいなかった。その中いた彼女も何事もなかったかのように接してくれた。やっぱり他人事だと思った。だけどそれでいいのだ。案外、人は他人のことを気にしていないものだ。そのおかげで気が楽になることだってある。
自分で勇気を出して訴えることで協力してくれる人がいる。相手の気持ちがわからないこそ、気持ちをぶつけ合うことがだいじなのだ。そうして人は強くなり、絆が深まっていくのだ。
学校に行くようになってから一ヶ月ほどたった。今日もまたアラームで目を覚ました私はカーテンを開き、日の光を浴びた。そしてリビングへ向かった。今はもう、洗面所の前で立ち止まったりしない。教室の前で立ち止まったりしない。ありのままの私の笑顔で「おはよう!」と挨拶をした。