「あれ?おかしいわね」
いつもならすぐメールを返してくれるのに、今日は全く返事がない。一週間経っても速読表記はなく、必然と一人で行くことになる。
今日は待ちに待ったクッキングコンテスト予選大会。シェフを目指す私にとって大事な大会だ。この大会のために、何度も家の台所や専門学校のキッチンで練習してきた。
その成果を高校時代の友達悠人に見てもらおうと誘ったのに、本人はずっと無視している。
どうしたものか。
はぁっと深いため息をつき、貴重品と厚地の手袋、必要な書類をトートバッグに詰める。この書類がなければ、大会に出場することはできない。
バッグの紐を肩にかけ、アパートの一階から外出。悠人が来ないという切ない気持ちが押し寄せて、ずっとアスファルトの地面を見つめていた。上を向くのは時たま挨拶してくる人に、返す時のみ。
会場についてもその気持ちは変わらず、受付の近くにいた友達に話しかけられても気分が乗らない。
「柚乃、大丈夫? 顔真っ青だよ」
「うん、平気。気にしないで」
「もう。そんなに緊張しなくていいのに」
真莉は私を励まそうと、口角を上げて微笑んだ。それが実は逆効果なのは知っていたけど、一応友達だからと受け止める。
彼女の言う通り、私は緊張しやすいタイプだ。前日に発表会があると知れば、睡眠を取るのもやっと。額から汗が滲み出てくる。ただその割に決断力と器用さがずば抜けており、たとえ緊張してもそれらでカバーできる。
もう本番だから悠人が来ないことは仕方ないと割り切り、速やかにロッカー室へ向かう。
大会用の赤と白を基調にしたコック服を纏い、その上からエプロンと三角巾をつける。
「あんたひよこ柄、好きだよね」
「そ、そうかな? そう言う真莉ちゃんだって、いつもドット柄でしょ?」
「そう言う細かいことは気にしないの! もう少しで大会だから、気合入れないと」
そんなつまらぬ会話の後、他の仲間とロッカー室から出た。大会は主に個人戦と団体戦があり、私はどちらにも出場する。真莉は団体戦のみで、私と違うグループの人たちと料理を作るようだ。
「最初は、松原柚乃さんね」
会場を取り締まるお姉さんに呼ばれて、そのまま会場に入る。個人用のキッチンにまな板と包丁、クッキングペーパーと鍋やフライパンなど料理に必要なものが揃っている。あとは食材だけか。
今の準備時間を使い、肉を取り出そうと冷蔵庫の下にある冷凍庫を開けた。と次の瞬間、驚きのあまり声が出なくなる。
なんと冷凍庫の中に、氷漬けされた死体が入っていたのだ。冷えた蒸気が肌に触れて、雪の冷たさを感じる。
「どうされましたか?」
司会をしている一人のお兄さんが異変に気づいたのか、私に声をかけてきた。驚きのあまり声が全く聞こえず、返事を返さない。というか返せない。
「?」
司会者は首を傾げて、開いている冷凍庫の中を覗く。カチコチに固まった人が入れられているのに気がつき、これは事件の一種だと判断。すぐ電話に110と入力しようとした。
「あの、それだけはやめてください」
私は司会者だけに聞こえる小さな声で、ボソッと呟く。
「……なぜでしょうか?」
「冷たいあの人は高校時代の友達悠人なんです。彼を殺して冷やすなど、誰がやったのか分かりません。必然的に第一発見者が疑われてしまうので、何もしないでください」
「しかし……」
「黙って言うことを聞いてください!」
「わ、分かりました」
司会者は戸惑いながらも携帯を握りしめ、そのまま後ろのポケットに突っ込む。
「一つお聞きしたいのですが……」
「何ですか?」
私は冷凍庫から悠人を取り出すため、家から持ってきた分厚い手袋をはめて彼の脇の下に手を伸ばした。その時話しかけられたので、作業中に問いかける。 どうせ「何をしているのか」と聞いてくるのだろう。適当に答えれば大丈夫だ。自分の思ったようにやればいいだけだし。
けれど彼は、私が思っていたものと違う質問をしてきた。
「あなたが彼を殺したんですか?」
その問いを耳にした瞬間、すぐに作業を中断。振り返って、彼の表情を眺める。焦りと自信が混じっている複雑な感情が見え見えだ。
こういう時は誤魔化すべきか?
いや、誤魔化してもどうせバレるだろう。ならば今この時に、全て話すべきだ。そちらの方が楽になると思うから。
「ええ、私が殺しました」
「なるほど。じゃあなぜ殺したんです? 憎かったから……とか?」
「それも一理あります。実は彼に恋人ができて、嫉妬したんです。しかも結婚するって噂を聞いて、怒りが頂点に達しました。結婚する前に殺して冷凍しておけば、ずっと一緒に居られると思ったんです」
司会者はこの話を聞いて、唇を噛み締めた。動揺したのか、何も聞いてこない。私は仕方なく、話を続ける。
「一週間前から何度もメールや電話しているのに、無視してるのよ。酷いと思わない? あなたの友達柚乃ですってメールしても、『柚乃っていう名前、聞いたことない』って返ってくるの」
全て話し終えた私は長いため息をつき、立ち上がった。解凍しかけている死体悠人は、体育座りのまま放置する。
私は一回だけ司会者の黒いネクタイを見て、それからまな板の上に置いてある包丁を眺めた。
刃は鈍く銀色に光り、一瞬で肉を切ることができる切れ味。これを使えば、一瞬で人を殺すことができる。
包丁の柄を右手で握りしめ、勢いよく振り下ろした。司会者の目の前で。
司会者が瞑っていた目を開ける。床に落ちている血まみれの包丁と腹から血を流す柚乃の姿が見える。
全く訳がわからず、彼は後ろのポケットから携帯を取り出した。慌てて110番通報をし、この事件は無事幕を閉じる。
「それにしても手が血まみれで、ボタンが打ちにくいな」
◇◆◇
人を愛するのはとても難しい。愛は盲目とよくいうが、まさにその通り。
一人の人物を愛してしまうと、周りが見えなくなり自分だけ愛してくれればいいという独占欲が現れる。それが次第にエスカレートすれば、このような例と同じことをしてしまう。
そうならないために、まずは相手のことを考えて何をすればいいのかメモしておくのが得策だ。これは実行していい、してはいけないに分けて、相手と相談するのが恋愛を継続する上で最も重要なんだと思う。
もしストーカーと同じ行為をしているのなら、好きになった相手に話しかけ断られても次の相手を見つければ良いと前向きに考える。そちらの方が人生、明るいと思うのだ。
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