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希望の方舟

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Ⅱ. ここで生きるということ

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2023年08月08日

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この船では食料がとても貴重だ。

普段の食事は必要な栄養素だけを考え化学的に作られた味のしないサプリメントで賄っている。

屋上フロアで作った野菜と穀物、肉を使い、月に一度の夕食だけ、調理師達の腕によりをかけた食事が食堂に並ぶ。




食堂に行くとすでに灯が席に着いていた。

「あ、真子! ここここ!」

灯が大きな声で真子に手を振る。


「号長何だって?」

食事を取った真子が席に着くと灯が心配そうに聞いてきた。

「別に。ただ、ゆっくり決めたらいいってさ」

「そう……まぁ号長ならそう言うと思ったよ」

「うん」

「真子は何でも出来るからなぁ。俺みたいに他に何も出来ない機械バカだったら迷わなくて済むのにな」

灯は白い歯を見せてニカッと笑った。

「何か得意な事があるって羨ましいけどね」

「そうか?」

真子の言葉を気にする素振りもない灯は『いただきまーす』と言ってひと月ぶりの味のする食事にかぶりつく。

「うまー! 食わねぇならそっちも俺が食うぞ」

真子は隣から伸びてくる手を叩く。

「食べないわけないでしょ。盗ったら一生恨むからね」

「おぉーこわっ」

大げさに怖がって見せる灯を横目に、真子は箸を口に運ぶ。

「うんま!」

「だろー」

「灯が作ったわけじゃないでしょ」

「まぁね」

そう言って灯が笑う。

月に一度のささやかな楽しみが、真子にとって、いやおそらくこの船に乗ったほとんどの人にとっての数少ない幸せなのだ。

こうやって笑っていられるのもただ運が良かったに過ぎない事に、真子の胸はどこかチクっと痛んだ。




真子には家族がいた。

父と母、そして七つ歳の離れた兄。


真子がこの船に乗る事が出来ると聞いた時、三人は泣いていた。離れなければならない悲しさと真子だけでも助かるという安堵が入り混じったような、どこか複雑な涙だった。

当時まだ七歳だった真子は家族と離れるのを拒んだ。幼いながらに、この船に乗ったらもう家族とは会えないかもしれないという事が分かっていた。

それでも家族は真子を船に乗せた。いつかまた必ず会えるからその時まで元気でと笑って見送ってくれた。


その時の写真だけが唯一真子が持っている家族写真で、今もベッドの横に飾ってある。記憶の中の家族が段々と霞んでいく中で、真子は毎日その写真を頭に刻んだ。

いつまでも歳を取らない三人と、泣きはらした目の幼い真子。

思い出の中の真子はいつ見ても泣いている。せっかくの最後の写真だというのに、もっと笑えば良かったのだ。


船に乗った後、三人の行方は分からなくなった。生きているのかさえも知る術がない。

政府が用意した海上仮設住宅があると後から聞いたが、そこにいるのかも分からない。真子がこの船に乗ってすぐ、そことの通信が途絶えたからだ。

それに、植物が海の底へと沈み、海中の植物も光合成が出来ない外の世界は、酸素もかなり薄くなっているだろう。

だが、真子は家族の無事を信じている。約束をしたから。いつかまた必ず会えると。

だから真子は生き続けなればならない。




「あれ、真子どうしたの、そんな虫でも食ったみたいな顔して」

「ん……? あ、遥姉(はるねえ)。え、私そんなひどい顔してた?」

真子がそう言うと、遥季(はるき)が声を上げて笑いながら頷いた。

遥季は医療班として働いていて、真子にとって実の姉みたいに頼れる存在だった。

「相談ならいつでも乗るよ。アタシはいつでも、いつもんとこにいるからさ」

遥季が割り当てられた自室に帰る事は滅多になく、そのほとんどを医務室で過ごしている。

「遥姉もたまには部屋で休まないと体壊すよ」

「大丈夫大丈夫。アタシ体だけは丈夫だから」

これは遥季の口癖だった。自分は体が丈夫で選ばれたんだといつも言っている。

「医者の不養生とはこの事だね」

真子がそう言うと『よくそんな難しい事知ってるね』と遥季が真子の頭を雑になでた。遥季の中で、真子はまだ出会った時の子供のままなのだろう。


「まぁ、気が向いたら行くよ」

「そう、じゃあお菓子でも用意して待ってるよ」

お菓子と言っても他のよりほんの少し甘い味がする糖分サプリの事だ。それに真子はもうお菓子に釣られるような年でもない。

「わーい、お菓子なんて嬉しいなー」

わざとらしく言う真子の言葉に遥季が満足そうに頷く。

隣でその流れを見ていた灯が吹き出す。

「ねぇ、口に入ってる時に笑わないで。飛んでくる」

「だっておもろいもんはおもろいんだし、しょうがないじゃん」

きっとこの二人がいなければ真子はこの生活に耐えられなかっただろう。

気づけば本当の家族よりも長い時間をここの人達と過ごしている。

周りに広がる笑顔も、いつの間にか真子にとっては大事な家族の笑顔になっていた。




「あ、真子!」

それからしばらく経ったある日、真子は廊下で遥季に呼び止められた。

「ん?」

「3820号室のマユミさん、今朝無事に元気な男の子を産んだよ」

「え!」

マユミさんのお腹が大きくなり始めた頃から真子はその成長を見守っていた。

「時間がある時に会いにおいで」

「うん行く!」




その日の授業が終わった真子はすぐに医務室に向かった。

処置部屋の奥のベッドが並ぶ部屋に小さな新生児用のベッドが一台置かれていた。

「あ、真子ちゃん。来てくれたのね」

隣のベッドで横になっていたマユミさんが真子に気づいて起き上がる。

「はい。遥姉に生まれたって聞いて、どうしても会いたくて」

「ありがとう」

そう微笑むマユミさんはお母さんの顔をしていた。

その隣で眠る小さい顔。手も足も全てが小さくて、それでも一生懸命に動くお腹でここに新しい命が生まれたということに実感が湧く。

「かわいい……」

「真子ちゃんもこんな時があったのよ。自分の命よりも大切な存在がいて、その成長を見守ることが出来るって当たり前じゃないのよね」

マユミさんが小さな手を握って優しい眼差しを注ぐ。

「きっとご両親も真子ちゃんの成長を楽しみにしてたでしょうね……いつか、立派に育った今の真子ちゃんをご両親にも見せてあげたいわ」

今の真子を見て喜んでもらえるだろうか。いや、胸を張って会える自分にならないと。

真子は小さな命にそっと触れる。こうやって命は繋がって行くのだということが、その温もりから伝わってくる。


この船に乗ってから、何人もの人が亡くなった。そのほとんどが病気で、この船では手に負えない状態だった。

亡くなった人達を埋葬する場所もないため、火葬後は皆、風に乗って海へ散っていった。

この船で誕生する命と、消えていく命。悲しみと喜びは波のように繰り返し訪れるが、それこそが次の世代に命を繋ぐということだった。


「私達で、この子のこと守るからね」

「ありがとう、真子ちゃん。頼りにしてるわ」

十分ほどの面会時間を終え、真子は医務室を後にした。




夜中、真子がベッドで目を覚ますと、廊下の向こうに騒がしいような気配がした。ベッド横の置き時計は、まだ夜中の三時。

真子はパジャマの上からカーディガンを一枚羽織り、廊下を覗いた。

「どうしたんですか?」

通りすがった人に聞いてみると、どうやらこの船と同じ方舟が近くを漂流しているらしい。

真子はじっと寝ていられるわけもなく、誰かいるだろうと一階へと階段を降りた。

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