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吾妻財閥一家が居を構える邸宅。

四方をレンガ壁に囲まれた約20,000坪の広大な土地に、吾妻家は住んでいる。


巨人が通れるほどの正面玄関を抜けると、手入れの行き届いた庭園が広がる。

敷地中央には吾妻和志(あづまかずし)会長の邸宅があり、左右には会長を補佐するように長男勇太と、次男勇信の邸宅が建てられている。


国内十指に入る吾妻財閥の住居。

ここはかつてグループが所有する製糸工場があった場所だった。

20数年前、世界の技術革新に伴って、製糸業は衰退し工場は閉鎖となった。会長である吾妻和志は、その跡地を邸宅として選んだ。


過去に自殺者が出た土地だった。


遺体は工場の裏手、イチョウの木の下で発見された。同僚が男を見つけたとき彼はすでに亡くなっていた。死因は自傷行為による過度の出血だった。


遺書は見つからなかった。

男はいつも真面目に勤務し、会社への不満を述べることもなかったという。


自殺者が出たいわくつきの土地。

吾妻会長がそんな敷地に住居をかまえるとの決定を下すと、彼の側近たちはすぐさま反対した。


グループの総帥が暮らすのに不適切な立地である。仮に会長一家に不幸が降りかかるとなると、グループ全体を揺るがす大事件となるだろう。

社員に与える影響は大きく、また社会的損害もままならない。

会長一家が汚れのない土地に暮らしてこそ、グループ全体の運気が正される。

それが彼らの主張だった。


側近たちの意見を聞いた吾妻会長は、薄ら笑いを浮かべた。


「社員が命を落とした土地をどうして呪われたなど言えるのだ? グループを支える人材の死を汚点とするなら、そうした判断をくだす精神性こそ排除すべきではないのか。

私にはわかるのだ。彼の自殺は、会社とは関連のない個人的なことであると。そして私の第六感がこの地を選べとささやいている。我々吾妻一族はこの地に根をおろし、平和と安寧を謳歌するであろう」


会長の側近たちは、直ちに自殺した社員の調査を開始した。

その結果、社員はアルコール依存症のために自らの命を絶ったことが明らかになった。


結果として吾妻会長の考えが正しかったのだ。


側近たちはまたも吾妻和志の霊感に舌を巻かずにはいられなかった。


吾妻和志は非情なほどに合理主義者だ。

にもかかわらず、彼は自身が持つ霊的な感覚を強く信じた。

彼にとって「感覚」とは抽象的なものではなかった。

それは合理的な結果を導くための、重要な判断材料のひとつだった。


そうして吾妻会長一家の邸宅は建設された。


敷地の片隅には、小さな墓石が建っている。


「ここに眠れし魂に安息を」

墓石には吾妻和志の筆跡が刻まれている。


この地に移り住んでからというもの、吾妻一家の日常はただ平穏に過ぎていった。

しかし居をかまえて10年も経たないうちに、グループ全体を揺るがす大事件が発生した。


吾妻和志が植物人間となったのだ。

急性脳症だった。


長く患っていた糖尿病が原因となり、急激な低血糖性脳症を発症し意識を失った。

発病後すぐに適切な対応が行われなかったことが、最大の原因であったという。


吾妻和志は、早朝に敷地内を歩いていた。彼の日課のひとつだった。

広く伸びる木々を眺め、雲の流れを読みながら、彼は敷地内を散歩した。

しかし突然低血糖症を発症し、その場で倒れた。


……彼はなぜ意識を失ったのだろうか。

多くの否定的要因が組み合わさった結果だった。


他に誰もいない広い敷地内で発病したため、発見が遅れたこと。

手術をした膝の後遺症のリハビリ歩行だったため、すぐに邸宅へと戻れなかったこと。

重ねて妻である吾妻恵がその日頭痛を訴え、運動に同行しなかったこと。

前日に主治医が訪れるはずだったが、緊急の打ち合わせがあり予定が一日延期されたこと。


そして決定的だったのは、彼がブドウ糖の錠剤を服用しなかったことだ。


霊的な感覚。

彼だけが知る感覚。

合理主義の中に巧みに定着した、唯一の不合理。


「直感」が彼を破滅へと追いやった。


家を出るとき、吾妻和志はブドウ糖の錠剤にちらりと目をやった。

妻の恵が同行しないのはわかっていたため、錠剤さえポケットに入れておけば何の問題もなかっただろう。

しかし彼は、自身の「感覚」によって錠剤を手にしなかった。


第一発見者は妻の吾妻恵。

吾妻和志を見つけた場所は、イチョウの木の下だった。

彼は墓石にもたれかかり、すでに意識を喪失していたという。


医師と救急車がほぼ同時に邸宅に到着した。

救急車によって運ばれた病院で、彼は「遷延性意識障害」(植物人間状態)と診断された――。


それから約3年……。

吾妻和志会長は今もこの邸宅に住んでいる。


かつて個人映画館だった部屋は、病室へと改装された。

彼専用の病室には医療スタッフが24時間交代制を敷き、また国内の権威ある医師が定期的に症状を診察しに訪れる。


多くの生命維持装置が彼の肉体とつながっている。

そのほかにも、数え切れないほど多くのものがつねに彼を取り囲んでいる。


孫娘の吾妻さくらが祖父のために集めたぬいぐるみや、吾妻グループを担う幹部たちから届いた手紙や花束。


吾妻和志は生きている。

彼の体は停止していたが、その権威はいまだ生きている。

息子である勇太と勇信が新しい権力となったことで、吾妻和志もまた存続しているのだ。


彼は今日も、呼吸と排泄だけを繰り返す。

俺は一億人 ~増え続ける財閥息子~

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