「ヒメ…今、終わらせるからな」
千春は、輝夜からもらった失血死の力を、本能的に理解していた。だからこそわかる。この力をどう使えばいいかを。千春は失血死の能力で赤く染まった銛を、ヒメに投げる。瞬間、千春の肩には爆発的な血が流れ、一時的に筋肉が膨張する。その筋力によって投げられた銛は、まるで矢のように、ヒメの体を貫いた。ヒメは貫かれた銛を抜こうとするが、抜けない。返しが付いた銛は、そう簡単に抜けるものではないことを、千春は知っていた。ヒメは抜けないとわかるやいなや、今までのような美しささえ垣間見える合掌の動作は、形だけの荒々しいものとなり、ばちぃん、という音が聞こえたと思うと、ヒメは銛ごと消え、今いた空間はたちまち元の荒れ狂う海に変わる。千春はとっさに輝夜の遺体を抱えて、大きな海流に飲み込まれる。合掌したヒメは、そこから少し離れた無人島の浜辺に瞬間移動した。ぜぇぜぇと息を荒げながら、体に突き刺さった銛を抜こうとする。しかし抜けない。それどころか、ピクリとも動かなくなっていく。植物の根のように、銛から血が侵食しているのだ。
「ヌ゙ゲロ゙ォ゙ォ゙ォ゙!」
抜けろ、と叫ぶ声は、傷のせいで濁った発音となり、ヒメが叫んでいる、というよりは、獣が雄叫びをあげるのと同じように思えた。すると海の中から、輝夜の遺体を抱えた千春が、飛び出した。赤い紐のような血が、銛につながっている。銛の血にワイヤーのように引っ張られ、海中を移動して来たのだ。輝夜が千春をかばったときと同じく、千春はその勢いのまま、ヒメに激突、その拍子に銛が抜け、銛をキャッチして着地する。ヒメは吹き飛ばされる。ヒメは吹き飛ばされた先で、痙攣しながら貫かれた部位を抑える。
「ヒメ、ごめんな。一旦動けなくするのがいいと思った」
「ア………ガ………」
「…言葉ももう通じないのか」
ときどき人語のようななにかを口にするヒメは、もう、人とは言えなかった。再会したあのときよりずっと、つらい思いが千春の心を蝕む。
「もういい。ヒメ、お前に何があったのか、どんな思いをしたのかも、想像したくない。俺はもう、お前も、輝夜ちゃんも、助ける方法が浮かばないんだ。だからせめて、俺の手で」
千春は銛を構える。先端をヒメの方に向け、心臓に突き刺さんと振り下ろす。ありがとう、という声が聞こえた気がした。心臓を突き刺されたヒメは、かすかな息を漏らしながら、かろうじて両手を合わせる。音は無かった。だが、その効果は確かに発揮されたようだ。千春たちは水の球体に包まれ、その場から消える。次に千春の目の前に広がったのは、一面の銀世界。しんしんと雪が降り積もった、海辺の近くだった。それを理解する前には、既にヒメは息絶えていた。流れ出る涙を止められず、千春は空を見上げる。
「なあ、ヒメ。俺は、お前が思うほど、強く無いみたいだ。助けられなくて、ごめんな」
「全くですね」
突然聞こえた声に、千春は振り返る。そこには、満足そうな顔を浮かべながら歩いてくる、金坂の姿があった。
「お前は…!金坂!」
「お久しぶりですね。浦島千春くん。どうでした?私の作った化け物との戦いは」
「…化け物?なんのことだ」
「なにって、そこに転がってるヒメとかいうガキですよ」
「は…?一体なにを言ってるんだよ」
「私の権能で、ちょっと脳の仕組みをいじくって、限界まで力を引き出したんです。理性も記憶も消えるはずだったんですが、あなたのことを最後まで忘れなくてね」
「まさか、お前がヒメをあんなことに」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。私は、彼女の目的に手を貸しただけ。邪魔な特葬課を、全員まとめて倒せるだけの力がほしい、という願いに、応えたまでです。いやぁ、滑稽でした!まさか君があれを倒せるなんて、思いもしませんでしたから!」
そして金坂は、腹を抱えて爆笑する。千春はただ恐ろしかった。この男がなぜ笑っているのか、理解できなかったからだ。
「なんで笑ってるんだよ?なんでそんなことができるんだよ?ヒメは、お前のこと信じてたんだぞ…?」
「なぜって…面白いからですよ。人を陥れると、楽しいじゃあないですか。それに、信頼なんて、所詮人間社会を生き抜くための道具です。最初から彼女は使い捨てるつもりでしたよ」
「てめぇ、人をなんだと…!」
「我々は人ではない。だから、命に価値などないし、いてもいなくても同じだ。だから私はわたし含め、死呪人に価値のある世界を作る。そのために、彼に協力するのです」
「彼?」
「おっと、口が滑りました。まぁいいです。どうせ会うことになる。また会いましょう、浦島千春くん」
「待て!逃がすもんかよ!」
そう言って千春は銛をもう一度投げようとするが、体がガクンと崩れ落ちる。先程の戦いで、血を使いすぎたのだ。銛を持つ力も入らなかった。それを見て金坂は、
「おやおや、つくづく君は、肝心な時に動けないんだねぇ。せいぜい指を咥えて見ているといい。もうすぐ、我らの悲願は叶う」
そう言って、懐の瓶を飲む。飲んですぐふらりと倒れ込んだかと思えば、瞬きするほどの短い時間で、金坂は消えた。
千春は、地面の雪を握りしめ、歯を食いしばった。悔しさと、無力感。それらの負の感情を抱いた千春は、ただ、感情に任せて吠えるばかりだった。
コメント
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金坂お前ェェェェ!!ヒメちゃんも輝夜ちゃんも、悲しい展開で私のお豆腐メンタルがァァァ…