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黒い雲を呼ぶ

黒い雲を呼ぶ

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3

3 追手〜オオツメコウモリ

2024年01月23日

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長年、暮らしてきたベルナレク王国王都ベルスを後にすることとなった。

聖女フォリアは馬車の窓から身を乗り出して、見慣れた町並みを振り返る。

(こんな形で出ることになるなんて)

懸命に責務をこなしてきたつもりだった。聖女フォリアは自身を省みて思いつつ、また馬車の椅子に体を戻した。

「名残り惜しいですか?」

馬車の中、向かい側に座るレックス皇子が尋ねてくる。皇族用というだけあって、広々とした客車であった。

(いいのかしら、私、王子から捨てられた女なのに)

青髪の端正な美男子であるレックスをちらりと一瞥して、フォリアは思う。婚約破棄された当日に求婚してくれた上、翌日には神聖教会に事の経緯を説明しに来てくれた。

「ええ、その、心配で」

聖女フォリアは、つと俯いて答えた。

これっぽっちも思い合っていなかった、ヘリック王子のことではない。

自分の維持してきた結界がほつれた後のベルナレク王国が心配なのだ。

「本当に優しい人だ、あなたは。私はますます手放したくなくなってしまいましたよ」

冗談めかして、しかし、労るような笑顔でレックス皇子が告げる。

「一緒に戦ってきた仲間や私を育ててくれた教会の人たちも心配です」

せめて結界を可能な限り強力に張り直し、別れをじっくりとお世話になった人たちに告げて回りたかった。

「申し訳ありません。しかし、事は一刻を争うのですよ」

今度は打って変わって真剣な表情でレックス皇子が言う。

何に切迫しているのか。護衛を20名もつけてもらっている。カドリという青年に無力化されたのだが、無事、復活してきていた。

聖女フォリアにとっては、和やかな街道を馬車で行くだけの旅のはずだ。

(この辺りは魔獣もあまり出ないはずだけど)

かつては魔獣を討滅するため、ベルナレク王国中を回った身の聖女フォリアである。

「あっ、ブレイダー帝国内はそれほど急を要する情勢なんですか?」

ようやく思い至って、聖女フォリアは告げる。生国のことしか考えられなかった自分の不明を恥じていた。

「いえ、幸い、それほどではありませんよ。むしろ、ベルナレク王国の方が厳しい情勢でしょう。すぐ北に『魔窟』を抱えているのですから 」

苦笑してレックス皇子が答える。

『魔窟』というのは魔物や魔獣を生じる洞窟だ。最奥には『魔窟』の主とでも言うべき魔物がいるらしい。主を倒さない限り消すことの出来ないものだ。現在はベルナレク王国の北方に現存している。

「じゃぁ、なぜ、こんなに急いでいるのですか?」

聖女フォリアは改めて首を傾げてしまう。

「あなたを、ベルナレクの連中は体よく利用し、酷使するつもりです。一刻も早く、拘束される前にブレイダー帝国へ逃がすということで、教会とも話がまとまったのです。あなたはそれぐらい、今、危険であり他国へ逃れるべきなのですよ」

レックス皇子が丁寧に説明してくれた。

聖女フォリアとしては、にわかには頷きたくないことである。

「特にあの、カドリという男、あれは危険だ」

深刻そうな顔でレックス皇子が続けて言う。

カドリのことは聖女フォリアも知っている。歌の上手い美男子だ。ヘリック王子の友人でもあり、様々な祝宴に顔を出しては歌い手を務めている。雨乞いでもあり、農期には耕作地で儀式もするらしい。

(危険っていう印象はなかったけど)

再度、フォリアは首を傾ける。

不意に甲高く警笛が響いた。

「敵襲っ!」

続けて護衛の誰かが叫んだ。

「やはりなっ、早速来たかっ」

馬車の停止とともに、剣を引っさげてレックス皇子が飛び出していく。

聖女フォリアも杖を手にして後に続いた。

「何事だ?」

側近らしき騎乗の男にレックス皇子が聴取している。

皆が一様に空を見上げていることに聖女フォリアは気付いていた。

「魔獣ですか?」

戦いの気配に自然と引き締まる思いになって、聖女フォリアは杖を構える。先に聖なる宝石のついた唯一無二のものだ。

「こちらに飛んできますっ!」

別の護衛が叫ぶ。まだ聖女フォリアには顔と名前が一致しないのであった。

空の黒い点。みるみる迫りきて大きくなっていく。近付いてくると、体の両脇に羽ばたく翼が見えた。

「いかん!オオツメコウモリだっ!」

相手の正体に気付いたレックスが剣を抜き放っていた。

はるか彼方から飛来していて、獲物を強靭な両足で鷲掴みにし、飛び去ってしまう魔獣だ。

一気に間合いを侵略してくることから、馬車などを御す者にとっては、恐ろしい相手である。

(それに、剣では相性が悪い)

護衛の人々がほぼ片手剣を得物としていることに聖女フォリアは気付く。間合いが短く、飛ぶ相手には不利だ。

「フォリア殿は馬車の中へ!」

レックス皇子がオオツメコウモリに目を向けたまま叫ぶ。自分を気づかってくれての言葉だとは分かるが、ブレイダー帝国は本当に平和らしい。

「かえって危険です!私も戦いますっ。マジックウォール!」

聖女フォリアは杖を掲げで魔力を篭める。複雑で強力なものであれば、自分もいちいち祈りを捧げねばならない。

マジックウォール、透明なただの魔力の壁である。

「オオツメコウモリにはこれが一番いい」

聖女フォリアも何度か戦ったことのある相手だ。

行動がわかりきっている。一気に飛んでくるだけだ。

(冷静に落ち着いて動線を見切るだけ)

何枚も作り、あえて一箇所、地面の低いところに穴を作っておく。

「殿下っ!低空を飛ばせます。息を合わせて、斬り倒してくださいますか?」

あえて微笑みを見せて聖女フォリアは告げる。

護衛たちを見ていても、それを含めて、この中で一番腕が立つのはレックス皇子なのだ。

「あぁ、任せてくれ」

だが、あまり実戦慣れはしていないのかもしれない。強張った顔でレックスが頷く。

既にかなり近付かれている。

急降下してきて、毛の一本一本までよく見える。体高は1ペルク(約4メートル)、翼を広げればその2倍に至るほどだ。

オオツメコウモリには、見えない障害物も声の反響で分かるようだ。巧みにマジックウォールを避けて、地面すれすれを飛んでくる。

体高は大きくとも、急所である額はそれほどの大きさではない。

「今ですっ!」

聖女フォリアは叫ぶ。

「おうっ!」

応じたレックス皇子が白銀の名剣を一閃させる。巨大な相手の急所である額を的確に斬りつけていた。

「ギエエェッ」

断末魔の叫びをあげて、オオツメコウモリが絶命した。

「すごい腕前です、殿下」

思わず聖女フォリアは微笑みを向けていた。

「いや、フォリア殿の対処が的確だったからだよ」

汗を拭って、レックス皇子が謙遜する。眩しい笑顔を向けられていて、なぜだか照れ臭くなって聖女フォリアはうつむいてしまう。

「でも、なんでこんなところにオオツメコウモリが?もっと南の、山間にいる魔獣なんですけど」

聖女フォリアは首を傾げる。

もっと不思議なことが起きた。

「あっ」

オオツメコウモリの死骸が忽然と消えてしまったのだ。

「やはり、自然のものではないよ、フォリア殿」

険しい顔でレックス皇子が言う。

「だから、一刻も早く、我が国へ向かおう」

いつの間にか口調も砕けている。

レックス皇子に促されて、聖女フォリアは再び馬車に乗り込むのであった。

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