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テラーノベル(Teller Novel)
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遠ざかる見知らぬ島、晴れた空を飛んでいく海鳥、穏やかな波の海……。

(海って異世界でも変わらず青いんだなぁ)

矢野(やの)奏衣(かなえ)――私は今、異世界の船の上にいます。

(はぁ……私、これからどうなっちゃうんだろう……)


「――……タ様、……リタ様!」

「! はい!」

(そうだ。私は今、スクライン公爵家の娘『リタ・スクライン』。もう矢野奏衣じゃない)

慌てて顔を上げると、公爵家のメイドのティルダさんがストールを持って近づいてくるところだった。

海風に当たると冷えるからと、肩にストールを掛けてくれる。

……こんな丁寧な扱いを受けるのはまだ慣れない。

「名門貴族のご息女である方が、多数の人の目がある場所で気の緩んだ姿を見せていてはいけませんよ」

「す、すみません。気をつけます」

貴族のご令嬢らしくスッと背筋を伸ばした私を見て、ティルダさんが小さく頷く。

「不安ですか?」

「え……顔に出てました?」

「ええ。ですが、致し方ないことだと思います。……リタ様はこれからあの『非情の狼』のもとへ嫁ぐのですから」

(非情の狼……このフィオテリケス国の王、ユージーン・エイスタロットか……)

スクライン公爵いわく冷酷で恐ろしいらしい若き王の姿を想像すると、お腹の前で組む手に緊張で力が入ってしまう。

「しかし、公爵様も『リタ様』を王と結婚させたくないからといって、身代わりを立てるなんて……正直、思いもしませんでしたが」

境遇を憐れむような目を向けられ、「あはは……」と苦笑いを返す。

――私は、本物のリタ・スクラインじゃない。

本物のリタの代わりに王に嫁ぐため、私はこの異世界に召喚されたのだ。

(はー……元の世界に戻れるなら今すぐ戻りたい。けど無理だしなぁ。少しだけとはいえ、このまま王様のところに行って、リタのフリがちゃんとできるかもわからないし……)

マイナスなことばかり考えていると、私の両腕にティルダさんが手を添えて微笑んでくれる。

「大丈夫ですよ。フォローいたしますから。それにリタ様はこの2週間、公爵令嬢としての振る舞いを覚えるため、とても頑張っていらしたじゃないですか」

「ティルダさん……」

「ただ、あくまで私も仕事ですから。危ないときは私1人で逃げますので。……あら、冗談ですよ。しかめっ面しないでください」

(やっぱり不安しかない……)


私の不安と緊張は、フィオテリケス国本土のユージーン王がいるお城に到着したとき、すでに最高潮に達していた。

お城へ向かう馬車の中では、無言でだんだん蒼白になっていく私を、ティルダさんが何度も心配してくれたほど。

お城の門をくぐり、衛兵に案内されて王との謁見の間に行くまでは、足の震えをこらえ立っているのがやっとだった。

胃がキリキリして、背中を冷や汗がつたう。

いよいよ、ひときわ大きく複雑な模様が刻まれた扉の前に来ると、

「ユージーン国王陛下、スクライン公爵家ご令嬢、リタ・スクライン様がお見えになりました」

衛兵の言葉のあと、ギギギ……と鈍く圧迫感のある音を響かせながら扉が開かれた。

ゴクリと唾を飲み込んで、一度きつく手を握りしめてから前を見据える。

(私はリタ私はリタ……)

心の中で何度も繰り返しながら足を踏み出すと、足音を吸う真紅の長い絨毯の先にある王座に、ユージーン・エイスタロット王の姿が見えた。

王座のはるか上、ステンドグラスから差し込む陽の光が、ユージーン王の濃紺の髪に降り注いでいる。

「……」

「……」

お互いの間に距離があるのに、視線を向けられただけで肌が粟立つほどの威圧感。

(この人が……)

一瞬、脳内のやるべきことリストが吹っ飛びそうになったものの、どうにか公爵令嬢然とした足取りで絨毯を進んでユージーン王のもとへ。

膝を折り、頭を下げて何度も練習した言葉を述べる。

「お目にかかれて光栄でございます、フィオテリケス国繁栄の象徴でありますユージーン・エイスタロット国王陛下。スクライン公爵家長女、リタ・スクラインと申します。どうぞ末永くお見知りおきを」

「……」

挨拶への返答がなく、何か間違いがあったかと焦ってしまう。

しかし、少ししてからユージーン王が王座のあるところから階段を降りて、こちらに歩いてくる気配。

コツコツという足音と、私の爆音の心音とが重なる。

「顔を」

ぞくっとするような低音の声。

こんな声で処罰を言い渡されたら、その場で息の根が止まりそうだ。

おそるおそる頭を持ち上げる動作を始めたと同時に、グッと顎を掴まれ強引に上向かせられる。

ひっ、とうっかり出そうになったおびえの声をすんでのところで押し留めた。

私を見下ろす、鋭い針で刺すような冷たい眼差し。

非情の狼だ、間違いなく。

(なになに!? もしかして、もうリタじゃないってバレた!?)

けど、ここで動揺を見せたら余計に自滅するだけ。

足を踏ん張って、困惑を装いつつ微笑んだ。

「私の顔に何か……?」

「……本当に似ている」

(え?)

「……部屋は用意してある。詳しい話はまた

明日

あす。お互い望まぬ婚姻だが、相応の働きは必要だと思っておけ」

手を離し抑揚のないトーンでそう告げると、あっさり背を向けて去っていってしまう。

どうやらリタではないとバレなかったようで、ほっとするけれど。

(本当に怖かった……!)


「リタ様、私は城内の案内を受けてまいりますので、ゆっくりなさっていてください」

リタ用にあてがわれた部屋に案内された途端、ティルダさんは早速忙しなく動き始めてどこかへ行ってしまった。

「ゆっくりって言ってもな……」

大きな荷物の片づけはするなと念を押されているので、とりあえず自分用のコンパクトな旅行カバンを開けて中を探る。

「あった」

取り出したのは、携帯電話。

異世界に召喚されたとき、唯一元の世界から持ってきていたもの。

使い慣れたものがそばにひとつあるだけで、落ち着く。使えないけど。

フカフカで豪華なソファに腰を下ろし、携帯につけているストラップ――頭がキツネで体がタヌキの『ツネっぽん』の間抜けな顔を見たら、どっと疲れが押し寄せてきた。

本当に緊張してたんだ、私。

ユージーン王の氷のような眼差しを思い出すだけで、身震いしてしまう。

(この先ずっと顔を合わせるんだよね。私、ボロを出さない自信がないよ……)

頭を抱えながら、そういえばと思い出す。

(王様、似てるって言ってたのは何だろう。それに……)

ユージーン王の顔を間近で見たとき、私自身も一瞬だけ感じた違和感。

妙に懐かしいような何か。

「明日また会えばわかるのかな……。できれば会いたくないけど」

「会いたくないとは、随分な言い草だな」

「!? ユ、ユージーン王!なぜここに……」

立ち上がって声のほうへ振り向くと、入口に腕を組んだユージーン王が立っていた。

「婚約者の様子を見に来るのはおかしいことか?」

「いえ……」と答える声が震える。

(聞かれた。ど、どう弁解すれば……)

近づいてくるユージーン王と、逃げたいのに体が硬直して動けない私。

ぎゅ、と恐ろしさで目を閉じると――。

「っ……!?リタ嬢、いったいこれをどこで手に入れた!?」

「ひゃっ!……えっ!?」

突然携帯を持っていた手を掴まれ、弾みで床に落としてしまう。

(あ、やば!!)

その衝撃で待ち受け画面が表示されてしまい、元の世界の私と母が写っている写真を目撃される。

(バレた、終わった。……私、ここで殺されるんだ)

落ちた携帯を拾い上げ、ユージーン王がツネっぽんと待ち受け画面をまじまじと見つめる。

「ツネっぽん……」

「えっ!? 知ってるんですか?」

(はっ! 私、なんてことを……。でも王様が今、『ツネっぽん』って言うから……)

「……お前、リタ・スクライン公爵令嬢ではないな?」

「……っ!」

ギロリと確信を持った視線を向けられると、頭が真っ白になって言い訳も何も出てこない。

「本当の名を言え」

「そ、それは……」

「言ってくれ!」

痛いくらいの強さで両肩を掴まれ、揺さぶられる。

けど、それ以上に驚いた。

だってユージーン王の表情に冷酷さは微塵もなく、むしろすがるようなただの男の人の顔だったから。

だから私もポロッと口にしてしまう。

「……や、矢野奏衣……です」

「矢野奏衣……?ほ、本当に矢野さんなのか……?」

「へ?」

「……俺、保科だよ。保科裕人(ほしなひろと)」

身代わりで嫁いだ冷酷国王は初恋相手でした

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