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この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、事件等には一切関係ありません
まずは部屋の中を調べてみることにした。
住所がわかれば現在地がわかるだろう。
部屋の中を歩き回れる程度には、暗闇にも目が慣れてきている。
僕はとりあえず机の引き出しを開けてみることにした。
年季(ねんき)の入った学習机には、座った時の腹のあたりに薄い引き出しがひとつあり、右側の 袖(そで)部分には深さの違う三段の引き出しがあった。
袖引き出しの一番上の段には鍵穴があったが、施錠されてはおらず、引いてみるとあっさりと中身を見ることができた。
中には細々とした文具や携帯電話の充電器、電池、メモ用紙、ライターなどが 無造作(むぞうさ)に放り込まれているだけで、郵便物の 類(たぐ)いはない。
次々に引き出しを開けるが、どこも 雑多(ざった)なものが詰め込まれているだけで、住所の手がかりになりそうなものは見つけられなかった。
(机じゃないなら、本棚か、クローゼットか?)
そう思ってあちこち開けてみるが、特に郵便物などは置いていない。
あらかた探し終えてから部屋の中を見まわし、僕は腰のあたりに手を置いて背中を伸ばした。
「栗橋さんならどこにしまっておきます?郵便物とか書類とか」
「俺は……玄関とかテーブルの上に放り投げてあるが……そこがどんな部屋かにもよるんじゃないか」
「どんな部屋って……見ての通り、男の部屋ですよ。 殺風景(さっぷうけい)で 乱雑(らんざつ)な。散らばってる服も男物だし」
「俺にはそっちの光景は見えないんだよ。君の……佐伯君の行動は見えるけど」
僕は口を 噤(つぐ)んだ。
(こちらの光景が見えていない?)
確かに栗橋は僕が目にした壁の文字を「知らない」といった。ということは壁の文字は栗橋には見えていなかったことになる。
しかし栗橋は「壁に書いてあるんだろう」と言ってはいなかったか。
ちりちりと首筋の 産毛(うぶげ)が逆立った気がした。
僕が灯りをつけようとした時に「灯りはつけない方がいい」とも言っていた。
見えていなければ、そんなセリフは出てこないのではないだろうか。
僕の沈黙をどう 捉(とら)えたのか、栗橋は「ええと」と前おいてからしゃべり出した。
「……俺の状況を説明しておいた方が良さそうだな。俺は……自分の部屋の自分の机に向かって、携帯電話で君と話をしている。パソコンの画面には君が灰色の空間で動いている姿が映し出されているんだ」
「パソコン画面を見て携帯で……って、僕は携帯なんて通さずに貴方の声を聞いてますけど」
確かにこの部屋にも携帯電話があるのかもしれない。
だが、栗橋の声はどこからともなく僕の耳に入ってくるのであって、携帯電話から漏れ聞こえているわけではない。
この部屋にも小さなノート型のパソコンはあったが充電ケーブルのランプが小さなグリーンの光を放っているだけで、開いてすらいない。
近づいてそっと画面部分を持ち上げてみる。
電源ボタンを探り当てて起動してみると、見慣れたインターフェースが目の前に現れた。
「原理は俺にもわからない。ただ、俺の部屋に関して言えば、電化製品なんかは普通に動いているんだ。俺は一人暮らしなんだが、狭い部屋だから死角なんてほとんど無くてな。結構普通に部屋の中を動き回れる。念のため電気はつけていないし、トイレに入っても流してはいないけど」
「僕の行動は見えてるんですよね。それなのにこちらの光景が見えていないってのがわからないんですけど」
「なんと言うか……灰色の空間で動き回る君の姿が見えると言った方が正しいかな。Tシャツとジーンズのようなスボンを履いた姿の青年が何かを開けたような動作をとっているのは見えているんだが、周りの光景はただのグレーだ。一応、床、壁、天井だと思われる区切りはある。家具は見えない」
グレーの箱の中で動き回る僕が見えると言いたいのだろうか。
僕は机の上のペン立てから 鋏(はさみ)を取り出して部屋の中央に向かって 掲(かか)げてみた。
「じゃあ、僕が何を持っているのかもわからない、と言うことですか」
「そうだ。君がこぶしを上げている様子しかわからない」
本当……だろうか。
「それにしては、やけにタイミング良く「灯りは点けない方がいい」なんて言えましたね」
栗橋の言う通りならば、僕が何を 掴(つか)んだのかはわからないはずだ。
ということは、あの時だって電気の紐を掴んでいたなんてわかるはずが無いのに。
一体どこまで本当のことを話しているのだろうか。
少なくともこちらの動き自体が見えていることは確かだろう。
でも、何か。何かが引っかかる。
「さっき君は手を前に出して歩いて壁まで行ってから、空間の中央に戻って何かを掴む動作をしていただろ?これはもしかして電気を点けようとしているのではないかと思って声を掛けた。それだけだ」
栗橋も疑われていることには気が付いているのだろう。 若干(じゃっかん)語気(ごき)が荒い。
確かに、行動だけで判断が付くこともあるだろう。
僕は一応は納得したという感じで 頷(うなず)いて見せた。
栗橋に対する不信感を 拭(ぬぐ)いきれた訳ではないが、置かれた状況は何となくわかってきた。
これが栗橋の言うとおりのゲーム……のようなルールに 則(のっと)った世界なのだとしたら、栗橋は自室で僕をゲームクリアさせなくては抜け出すことが出来ないプレーヤーで、僕は何とかしてここから自宅に帰らなければ抜け出せないプレーヤーということなのだろう。
「栗橋さんはあいつ等を見たんですか?」
「直接は見ていない。俺の部屋の窓からはあまり外が見えないから……うまく探れないしな」
「では、あいつらのこととか、そのルールとかは、全部僕みたいな……動いている人からの 又聞(またぎ)きとか?」
「あいつらの外見などはこれまでの人から聞いただけが……ルールについては俺のパソコンに表示されている」
「……どういうことですか?」
どこかで椅子が 軋(きし)むような音がした。
合わせるように栗橋が息を吸う気配がしたから、もしかしたら栗橋が座る椅子の音かもしれない。
携帯電話で話していると言っていたが、栗橋の携帯電話は普通の電話と同じように声以外の音も多少は拾うのだろうか。
「最初の夜、俺は普通に自分の部屋で目を覚ました。変な時間に目が覚めたと思ったら、勝手にパソコンが立ち上がって、黒い画面に……なんというか、目のような、人影のようなものが浮かび上がったような気がしたんだ。
見間違いかと思って近寄ったら、急にこの画面が立ちあがった。
ちなみに俺が見てるのはパソコンに最初から入っているような動画再生ソフトの画面だ。そのフレームの中にはグレーの箱の中に、人が 仰向(あおむ)けで浮いているような画像が映し出されていたんだ」
カチカチと小さな音も聞こえる。
栗橋がパソコンのマウスを操作しているのだろう。
「ちなみに画面を消すことはできないが、他のソフトを立ち上げることはできる。メールやネットなどの通信機能は使えない。……携帯電話も圏外表示だ」
「圏外って……まぁ、こちらが携帯を通して受信していないんですから、圏外でもいいの、か……?」
「そのあたりは、俺にもわからん。その動画再生ソフトの上部にタイトルを表示するバーがあるんだが、そこに「誰かをクリアさせなければならない」と表示されているんだ」
栗橋はそこで一度言葉を切った。
禁止の命令口調でなされる、おかしな指令。
僕は壁に記された「誰にも会ってはいけない」という文字に目を 遣(や)った。
どす黒いような、それでいて小さな光源に反応してぬらりと光っているような、独特の光沢を持つその文字。
一見普通と思える文章も、こんな状況では 薄気味(うすきみ)悪い。
僕が壁の文字を見つめていると、再び息を吸う気配がした。