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夏休みの最初の日、僕は窓から差し込む陽の光に目を凝らしていた。
一時的に学校の面倒な人間関係から解放され、心地よい時間が流れ始めた。
それは有限の時間であるからこそ、せわしなさも感じられた。
家はマンションの一室で、中学生に上がったときに両親から与えられた僕の部屋には最低限の家具しかないが、そこは僕にとっての安息の場所だった。生活の音、深い静けさ、そして窓から差し込む暖かな太陽の光。それらが一緒になって、僕にとっての夏休みの始まりを告げていた。
午後になると、僕は図書館へ向かった。学校の課題をこなすためだ。
また、図書館の静寂は僕の時間を過ごす場所として最適だった。
しばらくすると、僕か課題に嫌気を感じ、気分転換に席を立ち、目的もなく本棚を見回した。
ふと一冊の本に目を惹かれた、その理由は今でも説明できないが、タイトルは『廃墟探訪』だった。表紙には時間に侵食された廃病院の写真が掲載されていた。
その廃病院の静寂と空気感が僕を引きつけた。
僕はその本を手に取り、ページをめくり始めた。
ページには荒れ果てた廃病院の中に残された医療機器やベッド、壁に付着した汚れ、床に散らばったガラスの破片などがあり、それらが時間の経過と共に変化していく様子が生々しく描かれていた。
これらの写真からは、かつてそこで生活していた人々の存在感が感じられた。その証拠が何かを僕の心に響かせた。 その本に集中していると、突然声が聞こえた。
「山田君?それ、面白そうね。」
僕の苗字を呼ぶ声の主は僕の隣に立っていた鈴木美紀だった。美紀は僕と同じクラスの女子であるが、普段から親交が深い訳ではない。
美紀は僕が手にしている本を見つめ、興味津々な表情を浮かべていた。
「これ、廃墟を巡る冒険者たちが記録した本なんだ。」
僕がそう説明すると、美紀の瞳は輝きを増した。
「それって、すごく面白そう。私も一度、廃病院を見てみたいな。」
僕は美紀の言葉に驚いた。
なぜなら、彼女はいつも明るく、顔立ちも良いことから、良くクラスの中心となるような人物だ。まさか、こんな異端な趣味に興味を持つとは思ってもみなかったからだ。
「本当に行きたいの?」
「うん、だって、こんなに面白そうなんだもん。」
美紀はにっこりと笑った。それが僕と美紀の夏休みの冒険の始まりだった。
二日後、僕は自転車で美紀と約束の待ち合わせ場所に向かった。
夏の日差しは無情にも僕を焼きつけ、気温はあっという間に上昇していった。
だけど、その暑ささえも美紀との未知なる冒険への高まる期待感で、なんとか忘れさせてくれた。
美紀の提案を受け入れた理由、正直、僕自身もよく分からなかった。
ただ、何か新しいことを始める、それが夏休みの始まりのような気がして、 拒む理由を見つけられなかった。それに、どうして美紀が廃病院巡りに興味を持っているのか、その謎を解き明かしたかった。
待ち合わせ場所に到着すると、美紀はすでにそこにいて、僕を見つけるなり大きく手を振った。
「ごめん、待たせた?」
「全然!ちょうどいいタイミングだよ。」
慌てて近寄る僕に彼女は明るく応えた。 今日も美紀は元気そのものだった。
彼女の服装はシンプルで、ショートパンツにシャツ、足元はスニーカー。それに合わせて背負ったリュックは、まさしく冒険への備えを感じさせた。
彼女はリュックから一枚の写真を取り出した。
「この病院、知ってる?」 僕は首を横に振った。
写真には大きな赤レンガの建物が写っていた。その建物は明らかに年季が入っており、古びた雰囲気が感じられた。 「今日の目的地。元々は精神病院だったんだけど、二十年くらい前に廃止になったんだって。ネットで調べてみたら、ここは廃墟探訪者に人気なんだってさ。」
「精神病院?」
僕は少し戸惑いつつも、興味津々で聞いた。
「そう、だから今は廃墟になっているんだよ。」 彼女はにっこりと笑った。
その笑顔には、期待感とわくわくした楽しみが満ちていた。
「それじゃ、行くよ。」
美紀が先導して自転車を走らせる。僕も彼女に続く。夏の青空が広がり、風が田んぼを波立たせる。 目指す廃病院までの道のりは、美紀の案内で迷うことなく進めた。
彼女の声には興奮が満ち溢れており、「楽しみだね」と何度もつぶやいていた。
目的地につき、実際の赤レンガの建物を目の前にすると、その荒廃ぶりがリアルに伝わってきた。
窓ガラスは割れ、壁にはヒビが走り、草木が乱れて生え、自然に取り戻されようとしていた。 「うわぁ、すごい…」美紀が声をあげる。
「こんな大きな建物がずっと放置されてるなんて…」
僕も同じ感想を抱いた。この廃病院は、かつて精神病院として機能していたという。今はその面影もなく、ただ時が過ぎ去っていく様子が悲しくも美しい風景を描いていた。
「さぁ、中に入ってみようか。」と美紀が提案すると、僕たちは病院の正面の門をくぐる前に立ち止まった。
風化と時間によって色褪せ、部分的に崩れ落ちた廃病院の建物が目の前に広がっていた。
美紀はカメラを持ち上げ、シャッターを切った。その音が静まりかえった空間に響き渡った。
「ねえ、山田君。わくわくしない?」小さな声で美紀が僕に問いかける。
彼女の瞳は期待に満ちていた。
「うーん、わくわくというか、緊張するかな。」僕は正直に答えた。
美紀は僕の言葉に微笑み、再びカメラを向けた。
僕たちが廃病院の中に足を踏み入れると、空気が一変した。内部は薄暗く、破れたカーテンから入る光がぼんやりと中を照らしていた。壁には古い時計が掛かっており、その針はいつの間にか止まっていた。
この場所は時間が止まっているかのような錯覚を覚えた。美紀はその光景を見つめながら。
「時間が止まったような感じだね」とつぶやいた。
美紀も僕と同じこと感じていたようだ。その声には、儚げな魅力が込められていた。
僕たちは廊下を進み、旧病室を一つ一つ覗いた。
病室には、病床や医療器具の名残がいくつか残されていた。美紀はカメラを手に取り、古びた診察台や薄汚れた壁に生えたカビ、天井から垂れ下がる経年劣化したペンキを写真に収めていった。
「この静寂がなんだか好きなの。だって、こんな場所で生きていた人たちの話を想像すると、時が止まったような感覚がして、それが不思議と安心するのよね」 と美紀は言った。
彼女の言葉を聞いて、僕は彼女の不思議な魅力に引き込まれていった。
病室を探索していると、美紀が何かを見つけたと手招きする。
僕は慎重にその場所まで足を運んだ。彼女の足元には、ホコリにまみれた古い日記が落ちていた。
「これ、見て。」 美紀がそう言って日記を差し出す。
僕は手に取り、ゆっくりとページをめくった。文字は褪せていて読みづらかったが、ここは病室だったのだろう、患者の日常がつづられていることがわかった。
彼らは一体何を感じ、何を思っていたのだろうか。その記憶はもうこの世にはない。
美紀はしばらく黙って日記を見つめていたが、その後、ゆっくりとカメラを取り出し、日記を撮影した。
その表情は、いつもの興奮したものとは一変し、深い静寂と尊重の念を滲ませていた。
「大切なことだね、記録って。」彼女がそうつぶやいた。
その後もしばらく探索を続けた後に、二人でその場を後にした。
廃病院の暗闇から一歩出ると、日差しが眩しく感じた。空気が変わり、それは一種の帰還の感覚だった。
「これからどうする?」
美紀が問いかけた。彼女の表情は、先ほどの深刻さから一転、再び明るさを取り戻していた。
二人は廃病院の外で落ち着いて、共有した経験について語り合った。僕は彼女の話を聞きながら、どこか非現実的だった廃病院の世界から現実に戻った感覚に浸った。
「また行こう、二人で。」
美紀がそう言った時、僕は頷いた。僕たちは日が落ちていく空を一緒に眺めていた。
それは静かで、どこか特別な時間だった。僕たちの夏休みの冒険が始まった瞬間だった。 .
翌日、僕は次の目的地となる廃病院のリサーチを始めた。インターネット上で様々な情報を集め、一つの場所が視野に入ってきた。
それは都心から電車でかなり遠出しなければならない場所にあったが、その廃病院の写真を見つけた瞬間、何かが僕の中で響いた。
午後、一人の時間を持てたので、美紀との出来事について考えてみた。彼女と一緒に過ごした時間、廃病院の探索、美紀の笑顔や真剣な表情、全てが頭から離れなかった。
そして、それと同時に、僕の中に新たな感情が芽生え始めていることに気づいた。それは明らかに友情以上のもので、どう向き合うべきかを僕はまだわかっていなかった。
これまで真剣に恋愛感情を抱いた経験がない僕には、この新たな感情がどういうものなのか、どう向き合うべきなのかがわからなかった。 夕方、僕は美紀にLINEでメッセージを送った。
「次の病院、見つけたよ。ちょっと遠いけど、大丈夫?」と、彼女からの返信はすぐに来た。
「うん、大丈夫!ちょっとワクワクするね!」
また、あの体験ができることを想像し、奇妙な期待に胸を膨らませた。