TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

タイトル、作家名、タグで検索

テラーノベル(Teller Novel)
シェアするシェアする
報告する

フェビタルテの馬はユカリの歩に合わせて荒野を進んだ。ユカリは丘の上で待つ盗賊たちの姿をよく見ようとした。しかし月の逆光で不吉な黒い影になっていて、どのような服を身に着けているかも分からない。


ほとんど全てが丘陵で、そうでなければ山だというミーチオン地方において、この荒れ地だけ穴が開いたように平けており、またほとんどすべてが平坦なこの荒野にあってここだけが小高い丘になっている。乾いた大地にまばらに生えた枯れた下草がそよぐ。虫は荒野の地下を愛し、獣ですらこの土地にはほとんど寄り付かない。生きとし生けるものにとっては精々遠い旅への通過点にしかならず、既に根付いている泥濘族でさえ、この土地を愛しているわけではなかった。


居並ぶ五十の屍たちは誰もが物語に語られる英雄のような恵まれた肉体を誇っていたが、フェビタルテに比べるとあまりに酷い身なりだった。ぼろぼろの衣服に皮膚に頭髪、酷い悪臭を撒き散らし、手に手に剣や斧を持っている。使者の役目を与えられているからこそ、フェビタルテはましな格好をしているのだった。


その屍たちの中心、丘の頂上には一台の輿が地面に置かれていた。そこに据えられた玉座は黄ばんだ人骨を積み上げて造られていた。バダロットに逆らった哀れな者たちの内、使役する価値のない者たちだった。


その玉座に手足を投げ出すように座っているのは浅黒い肌の大男だ。黒く巨大な熊の毛皮を身に纏い、その下には歴戦の傷を負った鎧を身につけ、護拳に宝石を散りばめた湾刀を佩いている。伸び放題の眉の下に深い緑の瞳が据えられ、大きな鷲鼻の影に生えた髭は馬蹄型に整えられている。


またその輿に四人の美しい屍の女を侍らせていた。フェビタルテと違い、生者に見せかける化粧はせず、薄衣を着、それぞれに別種の宝石をふんだんに身につけている。月のごとき輝きを放つ真珠。深い森に染まる玉泉の翠玉。燃え滾る血潮に似た紅玉。銀河の映える夜空のような天藍石。


そして丘の頂上にたどりついて見えた景色にユカリは身震いした。その衝撃を悟られぬように表情を凍らせたままでいる。丘の向こう少し離れた場所にまだ屍の軍勢が隠されていた。ざっと千は超える屍の兵隊が方陣を形成し、直立不動で主の指示を待っている。

もしも屍使いの話を聞いていなかったならば、これこそが魔導書の力なのだと思うことだろう。


「まさか、いや、お前のようながきが出てきたのは初めてのことだ」と大男が言った。


虎の唸り声に滝壺の轟きを合わせたような凄味のある声だった。


「初めまして、ユカリです。貴方が悪名高きバダロット?」

男は気怠そうに答える。「そう、そうだ。悪名高きバダロット。諸邦の美姫を奪い、伝説の英雄を従え、ことごとくの財宝を手中に収めたバダロット。それが俺様だ」


ユカリは不思議と恐怖を感じなかった。


「貴方は生きているのですか? つまり貴方が従えている人とは違って」と最初に抱いた疑問をそのまま口にする。


バダロットは不敵な笑みを浮かべる。


「そうは見えないか? 俺様が屍に見えると?」

「いいえ」と言ってユカリは目を凝らす。「だけどそう見えるからといってそうだとは限らないですし」

「確かにその通りだ」と言ってバダロットは歯を見せる。「屍使いには死者を生者に見せかける様々な術がある。それこそ屍を操る魔術よりもよほど大量にな」

ユカリは周囲の屍たちを見渡して、首をかしげる。「その術を使っているようには見えませんけど。どう見ても屍、それも無残に打ち捨てられて顧みる者のいない屍のよう」


フェビタルテが少しましという程度で、他の者たちはみなあからさまに死者だった。爛れた肉、欠損した四肢、露わになった臓物。黄泉の国がこのような光景ではないことをユカリは切に願った。


「使っていないからな。ああ、もちろん必要ないからだ。真の屍使いとは死者の美しさを知る者だ。醜い生者の姿を騙らせる必要はない。お前はそう思わないか?」


バダロットの侍らせる四人の女がくすくすと笑っている。彼女らもどこかの国の王女だったのだろうか、とユカリは思いを馳せる。

窓辺で物憂げにため息をつき、小池の畔で白い足を浸け、野原で可憐な花を摘み、四阿で思い人と星を眺めた彼女らには多くの求婚者がいたことだろう。名だたる王子に、古き王の血を引く吟遊詩人、深き森の王国の貴人や気高く力強い騎士たち。彼女らを失った男たちは今も数々の冒険を繰り広げて、その微笑みを求めているに違いない。いずれはここにたどり着き、悪辣たる盗賊王を誅し、しかしそこに待ち受けているのは悲劇に他ならないのだ。彼女らは既に幽界の輩であり、その純粋だった魂は堕ちている。


「おい、聞いているのか?」というバダロットの言葉でユカリは現実に引き戻される。

「ああ、はい。聞いています。そうですね。そう思いません。バダロットさんだって死にたくはないでしょう?」


そう言った後にとんでもなく挑発的なことを言ってしまったとユカリは気づいた。しかしバダロットはそれに対して特に関心を示さなかった。


「それで?」とバダロットが言った。「俺様の元までフェビタルテ以外の人間が来たということはお前は魔導書を持っているのか? 泥濘族と殺しあう必要はない、と言いたいわけだな」

ユカリは怯まずに答える。「ええ。魔導書を持っています。一冊と、二枚、二ページって言った方が良いのかな」


バダロットの顔が初めて歪んだ。多くの財宝をかき集めた盗賊王にしてなお、想像だにしない宝物を目の前にしているのだ。しかし屍たちの心には――あるとすればだが――響かなかったようだった。


「一冊? 一冊分の魔導書ということか?」

「ええ、その通り」とユカリは得意顔になる。「強烈な魔法を湛えた魔導書が、一枚で国を亡ぼす魔導書が一冊と二枚」


ようやく屍たちも反応する。怯えは感じないが驚いてはいるようだった。


「つまりだ。お前は、ああ、泥濘族と隊商の使者ユカリは、それを素直に俺様に渡してくれるというわけだ」

「まさか」


ユカリがそう言った瞬間、バダロットが高らかに指笛を鳴らす。屍たちが剣を抜き放ち、ユカリに躍りかかる。

ユカリもまたほとんど同時に、強い願いと【微笑み】でもって魔法少女に変身する。桃色と紫の輝くばかりの衣服ドレスは月夜に輪郭を際立たせる。ユカリは声高らかに【叫びたてる】。


「出でよ! 我が盾! 我が剣! 仇なす者を戒めよ!」


特に意味の無い叫びでも守護者を呼び寄せる魔法は行使されるのだが、獣のように吠え立てるのではあまり格好がつかないので、ユカリはグリュエーと共にあらかじめ口上を考えておいたのだった。

ユカリの目の前で、ひび割れ乾いた土が一人でに盛り上がり、形を成す。頭を出し、腕を出し、沼から這い上がるように土の中から己の体を持ち上げる。また剣と盾も土から拾い上げるようにして鎧う。そうして一体の土人形の騎士が形作られると、彼もまた口もないのに雄叫びをあげる。


「仰せのままに! 我が主! 覚悟せよ! 悪漢どもめ!」


土の剣、土の盾は容易く崩れるが、ユカリの叫びによって魔法が途切れない限り、地面から新たに供給され続け、屍以上に耐えしのぐ。


「行け!」とユカリが一度叫べば、平常ならそれだけで半日は持つ。しかし戦いにおいては守護者が力を失っていくので継続して何かしら叫ばなくてはいけない。それに叫べば叫ぶほど守護者は力を高め、戦い自体が早く終わるのだからユカリは叫ばないわけにはいかない。


美しきフェビタルテもまた騎士に躍りかかるが難なく打ち倒される。乾いた地面に投げ出されたフェビタルテを見て、ユカリは屍使いの力の一端を知った。その美しく装われたフェビタルテの表面が砂のように流れ落ちて、いかにも死体らしい損壊した体が露わになったのだった。


「グリュエー! 吹き飛ばせ!」とユカリは叫ぶ。

「グリュエーには叫ばなくていい」


そう言われても叫んだり叫ばなかったりするのは難しいので、ユカリは叫び続けることになる。


周囲の五十人をグリュエーと騎士が相手取り、千人の屍が丘を登ってくる前にユカリは【梟のように鳴く】。

変身の魔導書の微かな鳴動と共に、ユカリは宝物庫のように煌びやかな羽根を纏った梟へと変身し、骨の玉座に腰掛けるバダロットを難なく両脚で掴み、締め上げつつ上空へと舞い上がる。


空に昇ってから、この状態では交渉どころか、脅すことも難しいことにユカリは気づいた。少しでも人の言葉を喋れば、変身は解けてしまう。己の愚かさに嫌になる。相手から申し出させるしかない。

死にたくなければ、という言葉は言葉にしなくても伝わる。魔性の梟の脚がバダロットを強く締め上げ、熊の毛皮の下の鎧に爪を食い込ませ、命乞いを待つ。

しかしバダロットは少しの気後れも見せず、魔性の梟の脚から逃れようともがく。屍の盗賊たちを止めるそぶりも見せない。諦めが悪いのか、何か企んでいるのか分からない。魔導書を使う様子はない。切り札として使うべき機会を待っているのか、このような状態では使えないのか、そもそも持っていないのか、まだ判断がつかない。


その時、地上で異変が起きていた。魔性の梟の水晶の如き透徹な眼球が地上の何もかもを見通している。

グリュエーは姿の見えない存在なので、見た限りでは土人形の騎士の孤軍奮闘が展開されている。五十人を軽くあしらった彼らも千人の軍勢には苦労しているようで、ユカリの眷属は今やグリュエーだけが吹き荒んでいる。とはいえ不利な戦いではない。


しかしなぜか集落の方から大勢の泥濘族の戦士たちが手に手に剣を携えて、恐れ知らずの鬨の声と共に丘を駆け登っていた。


あまりに軽率な判断だ。魔導書がここにある以上、まだ盗賊たちが集落を襲う理由はない。ユカリが盗賊たちの手に落ちたわけでもない。剣を取る理由など何もないはずだ。そもそもユカリがバダロットを捕まえたことに気づかなかったというのだろうか。わずかな月の光を増幅して、虹よりも色彩豊かに輝く巨大な梟に気づかない、などということがあろうか。


瞬く間に両軍は衝突し、剣と槍が閃く。人々は容赦なく傷つけられ、血が流されている。泥濘族の熱い血と屍の盗賊たちの冷たい血が荒れ地に染み込んでいく。贔屓目に見ても二百人程度の戦士たちの方が遥かに強力なようだった。振るわれる剣は容易く屍を切り刻んでいる。魔術によって動かされている屍でも、生きている人間よりは脆いのかもしれない。


戦士たちは五倍の数の敵を押しとどめていた。しかし、すぐに趨勢は傾いた。屍の盗賊たちは何度倒れても頭か四肢を失いでもしない限りしぶとく起き上がり、戦士たちに襲い掛かっている。

泥濘族の戦士たちが次々に倒れていく。加護の失われた荒れ地で、肉体に開いた致命の傷口から魂がすり抜け、しかし行くべき場所を見出せず彷徨う。


そこへ無慈悲で強烈な風が泥濘族の戦士たちも屍の軍勢も関係なく吹き飛ばした。


ユカリは思わず叫び、グリュエーを制止した。梟の変身が解け、魔法少女の変身も解け、落ちていく。次にすべきことが分からない。ユカリの下でバダロットもまた落下している。その首はありえない方向に曲がっていた。その光景から逃れるように、ユカリは意識を失った。

loading

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
;