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いつか強くなって蒼翠を守りたい。決意を聞かせてくれた時の無風は、思わず抱き締めたくなるほど愛おしかった。
これがいわゆる母性というものか。葵衣の時に子どもがいたわけではないので言い切ることは難しいが、多分間違っていないと思う。
やはりうちの子は可愛い。何十回親バカと言われようが、可愛いものは可愛いのだから仕方ない。許されるものなら穴を掘って、邪界の裏側にある国に向かってこの溢れんばかりの思いを叫びたいぐらいだ。
この煌めくときめきを、一体どう鎮めればいいのだろう――――なんて、毎日のように寝台の上でゴロゴロと高速ローラーよろしく転がって心の中だけで喚いていたら、
「……もう俺、駄目かもしれない」
とんでもない試練がやってきた。
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いつもの茶飲み場所である崖の上に用意した茶卓には、仙人の好物の菓子・一口酥(イーコウスー)と茉莉花茶が置かれている。が、熱々で楽しむはずの茶はすでに冷め切っていた
「――それで? 火急の相談があるというから大急ぎで来てみれば、なんじゃその今にも混沌の淵にでも落ちそうな顔は」
仙人の言う混沌とは、役目を終えた神が永遠の眠りに就くといわれる場所。つまり死ぬ場所だ。
「ええ……今なら軽くドボンできそうです」
「いやいや、まだお前さん神じゃないからな? ドボンもボチャンもないからの?」
じゃあなんで先に言ったのかなんて、突っ込みすらもできない。
それぐらい蒼翠は落ち込んでいた
「一体何があったのじゃ?」
「無風が……」
「あやつが?」
「素っ気ないんです」
「……………………はぁ?」
仙人を呼び出したのは他でもない。最近の無風の態度がおかしいことを相談するためだった。
「最近、無風がめちゃくちゃ素っ気ないんです! 話しかけてもよそよそしいし、何か悩みでもあるのかと心配して好物を用意してもあまり喜んでくれないし。これまで夕食後はいつも修行の成果を報告してくれていたのにここ数日はすぐに部屋に戻っちゃうし……」
明らかに無風の様子がおかしく、不審に思ったためやんわりと理由を聞いてみたのだが、なぜか毎度上手くはぐらかされてしまう始末。こんなことは勿論初めてで、蒼翠の脳内は大混乱だった。
「もしかして思春期? 反抗期? え、無風、今グレてるの?」
育て方が悪かったのだろうか、それともまた誰かに唆されてしまったのだろうか。
不意に脳裏に不良座りをしながらタバコを咥える無風の姿が浮かんで、蒼翠は絶望に叫んだ。
「いやだーーー! 俺の可愛い無風が穢れるーーー!」
「ええい! うるさいうえに思春期だのグレるだの、よく分からんことばかり言いよって。大の男がジメジメするな、気持ち悪い」
ワシの好物の茶菓子がお前のせいで湿気るわ、と怒られる。
「酷い……邪界一の美君と言われてる俺を気持ち悪いなんて……ハッ、もしかして俺が溺愛ママのごとく付きまといすぎて、ウザくなったとか?」
「自分で自分を美しいとか言うでない。あと付きまといすぎなのは確かじゃから須(すべから)く反省せい」
「ヒドイ……今の俺の心は触れれば崩れそうな砂の城ぐらい繊細なのに、それを容赦なく壊そうとするなんて……」
「お前さんの話をきいてるとワシまでジメジメしそうじゃから、そろそろ帰らせて貰っていいかの?」
「いやいやいやいや、待ってくださいよ! 帰らないで! 仙人だって無風の師の一人として心配でしょう?」
あんな素直で純粋な子が非行に走るなんてことはないと思いたいが、やはり原因が分からないと心配だ。
「別にワシは心配なんぞしておらんぞ」
「どうしてです? 無風が可愛くないんですか?」
「そういう意味ではない。……というかお前さん、ちゃんとあやつのことを見ておるのか?」
「……と、言いますと?」
まるでこちらの観察不足かのように言われたが、蒼翠は意味がわからず首を傾げる。
「あやつのことを丁寧に観察していれば、常にはない些細な変化があるはずじゃ」
「些細な変化……」
言われてここ数日の無風を思い出す。
最近、無風は急に無口になった。それに時折、眉根を寄せて難しい表情を浮かべている。言いつけた修行の方も難航している様子が見られた。そんな様子から修行に行き詰まって悩んでいるのかと思っていたのだが、もし原因がそこでないのであれば。
「どこかに不調を抱えている……?」
「よい着眼点じゃな」
「って、それなら余計にこのままじゃダメじゃないですかっ!」
いくら結丹(けったん)を成功させたとはいえ、まだ霊力が安定していない今の状態で厄介な病にかかれば一溜まりもない。
急に焦燥が湧いた蒼翠は、勢いよく立ち上がって仙人に背を向けた。
「ちょっと見てきます! あ、そこのお茶と菓子、好きなだけ食べていいですから」
「既に冷え切った茶と菓子を勧められてもな……。まぁ今回はよいから、さっさと行ってやれ。まったく、無風のこととなるとすぐに盲目になる悪い癖を今のうちにどうにかしないと、あとで面倒なことになるぞ?」
「可愛い無風になら、どれだけ面倒かけられても構いませんよっ。では、失礼!」
寧ろ無風に頼られたほうが幸せだ。どうせもう数年もすれば無風は本来の姿を取り戻し、邪界を去る。その後は聖界の皇太子として黒龍族と戦う運命にあるので、蒼翠が何かできるとすれば今しかない。だからなんでもしてやりたい。そう意気込んで蒼翠は崖から飛び立つ。
その背を見つめながら仙人がぼそりと「そういった類の面倒ではなく、もっとこう……ドロドロとした感じの方のなんじゃがな」と呟いたが、当然ながら蒼翠には届いてはいなかった。
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