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テラーノベル(Teller Novel)
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「はあぁ……」


築数十年の三階建てボロオフィスビルの三階。広めのオフィスには書類の入った戸棚が一つ。電子レンジとコーヒーメーカーの置かれたラックが一つ。それと事務デスクが二つだけという殺風景な室内。

そこのデスクに置かれた、二世代前のパソコンのモニターに映る、赤い文字で打たれた数字の羅列にオレはため息を吐いた。


「おいおい、ため息なんて吐いていると幸せが逃げるぞ」


そんなオレに声をかけて来たのは、窓際の大きなデスクに座る、長い髪に白いスーツ姿の女性。街を歩けば十人中九人の男が振り返るであろう、この妙齢のセクシー美女は、大学時代の三年先輩にして現在の雇い主である。


まぁもっとも、振り返るのは見た目じゃあ性格が分からないからだけど……


プロレスラーへの夢が破れたあと、幸か不幸かオレの就職先は意外にアッサリと見つかった。オレが大学へ入学してプロレス部に入った時、その部長をしていたのが彼女、|竹下佳華《たけしたよしか》である。


その佳華先輩が、ちょうど前の会社を辞めて独立をするというので、その立ち上げスタッフに誘われたのだ。


しかし、さっきは『幸か不幸か』なんて言ったけど、その二択で言うなら今の状況は間違いなく――不幸だ……


「はぁ……逃げ出すほど幸せなんて残っていませんよ」


オレは、その雇い主の言葉に顔を上げる事なく、見事に赤い文字が並んだパソコンの画面をスクロールさせながら、更にため息を吐く。


「バカだなぁ。世の中、なんでもないような事が幸せなんだぞ」

「確かにこの出納簿を見ていると、普通が一番なんだと実感しますね……」


そう、さっきからオレが眺めているのは、この会社の出納記録――見事なまでに、文句の付けようもなく、完全な、大赤字である。


「はあぁ……」


その現実に、再びため息を吐くオレ。


「仕方ないだろ。あたしは錬金術師じゃないんだ。独立して新団体を設立しても、一度も興行を打ってないのに黒字になるワケないだろうが?」


確かにその通り。人間は無から有は生み出せない。会社は有っても、仕事が無ければ収入は得られない。

しかしだ――独立して、新団体の会社を立ち上げ早三ヶ月。一度も興行を打てないでいるのは、いかがなものなのだろか……?


ちなみに、新団体に興行とくれば、何の会社を設立したかは何となくお分かりだろう。

そう、設立したのは女子プロレス団体。名称は|ARTEMIS RING《アルテミス リング》という。


アルテミスとは、ギリシア神話においてオリュンポス十二神の一柱とされ、狩猟、貞潔、豊穣の女神であり、後にセレーネーと同一視された月の女神でもある。


まあ、眼の前にいる、このセクシー美女が貞淑かどうかはさておき――


「はあぁ……」


そんな大層な名前を付けておいて、この体たらくとは……


「ったく……ため息ばかり吐いて、鬱陶しい奴だな」


そう言われても、こんな状況ではため息しか出てこない。


ちなみに何でこんな危機的状況になっているのか? それは社長が無能だから――というワケでは決してない。逆に有能過ぎるからだろう。


佳華先輩が元々所属していた全日本女子プロレスは歴史も古く、ライバルの新日本女子プロレスと並んで女子プロ界の二大勢力だ。その全日本女子において佳華先輩は、入団二年目でタイトルをダッシュ。人気、実力共にトップへと登り詰めた。


しかし翌年、全日本女子の社長が引退。跡を継いだのが前社長の息子さん。佳華先輩曰く、この新社長が青年実業家気取りの馬鹿な二代目で、選手達からもバカボンと呼ばれていたらしい。

そのバカボンが就任してすぐ、佳華先輩は経営方針を巡り新社長と大喧嘩。最後には退団届けと一緒に、バカボンをJOサイクロン(*01)で社長室の床に叩き付け、全日本女子を辞めてきたらしい。


タダでさえ、人気実力共に高い佳華先輩が新団体を立ち上げるのだ。他団体からは強力なライバルが増えると警戒されているのに加え、更にそこへ全日本女子からは執拗な妨害行為を受けるハメになってしまったのだ。

特に他団体からの引き抜きやフリー選手への参戦交渉では、どの選手も全日本女子から圧力をかけられており、全く獲得が出来ていないのが現状だ。


当たり前の話だけど、選手が居なければ試合は出来ない。試合が出来ないなら旗揚げも出来ない。旗揚げしなければ収入もない。当然のように赤字になる。


と、実に簡単な図式である。


ちなみに今現在ウチの人員は、社長の佳華先輩と一応正社員のオレ。そして契約社員のコーチが一人と、入団テストに合格した高校出立てのルーキーが三人の、計六人だけである。


「佳華先輩が全女を辞める時、もう少し穏便に辞めていたら、ここまで苦労はしなかったんじゃないですかね?」

「それは無理な相談だな――」


ため息混じりのオレの愚痴を否定しながら佳華先輩はゆっくり立ち上がり、安物のコーヒーメーカーから愛用の特大マグカップへとコーヒーを注いだ。


「あたしも大人だからな、ある程度の清濁は併せ飲むつもりだ。会社の宣伝のため――なによりファンのためと言うなら、選手たちのサイン会や握手会をするのはいいと思うし、歌を歌うのも写真集を出すのもアリだとは思う」


シュガーポットから角砂糖を鷲掴みにしてマグカップへとブチ込み、それをかき混ぜながら話を続ける佳華先輩。相変わらず甘党のようだ。


「けど、あたし達はアイドルなんかじゃなく、あくまでもプロレスラーなんだ。トレーニングの時間を削って歌やダンスの練習をしろとか、筋肉が付き過ぎると衣装映えしないから筋トレは控えろなんて言われてみろ。黙っていられるか?」


佳華先輩は吐き捨てるようにそう言うと、特大サイズのコーヒーを一気に飲み干してマグカップを置いた。


「あまつさえあのバカボンのヤツ、試合内容にまで口を出して来たかと思えば、喉を痛めると歌が歌えなくなるから首への攻撃は控えろだの、アザになるから顔面攻撃はするなだのと……そんな事を言われて我慢できるかっ! むしろバンブーハンマーを出さなかっただけ感謝して欲しいもんだ」


イヤイヤ! いくら全女の社長室に敷いてあるジュータンがブ厚くても、鍛えていない一般人の社長さんがバンブーハンマーなんて食らったら即死レベルだから。


バンブーハンマー――佳華先輩が大学時代に作ったオリジナルムーヴで、変形のバーニングハンマー(*04)。|腕極めスリーパー《コブラクラッチ》(*02)の体勢から左腕だけを抜き、相手をアルゼンチンバックブリカー(*03)の様に両肩へ抱え上げる。そして、そのまま勢いよく尻餅をつきながら相手を脳天から落とすという、デンジャラスな大技にして佳華先輩の代名詞とも言える大技。


ちなみに、その技を最初に食らったのは何を隠そうオレである……


「いや、そうは言っても、JOサイクロンだって充分やり過ぎでしょう? 特にあの技は、男に掛けちゃいけないって暗黙のルールがあるでしょうに?」


JOサイクロン――正式名称は、ジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックスフォールド。相手の体の前で相手の両腕を交差させ、その両手首を背後から掴んだ状態で、相手の股下に自分の頭を差し込み肩車のように持ち上げて、そのまま後方にブリッジしながら倒れ込み、相手の後頭部からマットに叩きつける大技……


そう、肩車をした状態で、ブリッジしながら倒れ込むとゆう事は、投げられた方の股間が投げた方の後頭部に、思い切り押し潰されるとゆう事だ。


お、恐ろしい……男子生命にまだまだ未練のあるオレは、絶対に食らいたくない技である。




(*01)JOサイクロン

画像 正式名称、日本海式竜巻原爆固め(ジャパニーズオーシャンサイクロンスープレックスホールド)。相手の腕を身体の前で交差させ、背後からその手を掴む。そこから相手を肩車するように担ぎ上げ、ブリッジをきかせて後方に反り投げフォールを奪う技。



(*02)コブラクラッチ

画像 背後から相手の肩越しに右手で左手首を掴み、首下へ巻きつけるように通し固定する。

そして、自分の左腕を、固定した相手の左腕と首の隙間に差し込み固定し、相手の首を絞め上げる。

選手によって左腕の差し込み方が異なり、いくつかのバージョンがある。



(*03)アルゼンチンバックブリカー

画像 自分は直立した状態で、自分の両肩の上へ相手を仰向けに担ぎ上げる。

そして、自分の首元を支点にして、弓なりにしなる様に相手の体を反りあげ、

背中や腰にダメージを与える。



(*04)バーニングハンマー

画像 上記のアルゼンチンバックブリカーの大勢から、首を固定したまま垂直に脳天をマットに叩き落とす、デンジャラスな大技。

レッスルプリンセス~優しい月とかぐや姫~

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