1743年、ウパルパ王国滅亡
さてどうしてこうなったか…そしてそこまでの話を紹介しよう
1645年、ウパルパ王国はかなりの軍事力を持っていた、メストニ半島をたった3年で統一し独立運動も軍で押さえ込んでいた。
そしてそのまま次の標的も潰していきかなり強くなっていった。
そう良かった、順調だったのだ…ここまでは
それからは月日は経ち1725年
突如として各地で銃を持った者達による反乱、独立運動が起きまだ刀等しか無かったウパ王国は敗北を重ねた。そしてとうとう本土まで追い詰められそこに追討ちをかけるように革命運動。
対応が追い付かなくなったウパ王国は降伏し国内問題に対応した。しかし、それを許さんと1741年、コイカ、大キリカル帝国が宣戦布告。
とうとう崩壊の時が来た。国民は絶望し兵士は自決。大臣らも軒並み揃って亡命。
ウパルパ王国はかつての力を無くし技術力も消えていった。そして起きたウパ国の教科書にも載っている”2国分割”。しかしそれでも諦めず独立をしようとするものが居た…がそれはまた今度。
では。
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