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同僚が死んだ。
この職場にいる以上、死など医療職とは別の形でよく目の当たりにするのだというのに、何故か自分の身体が其れを”慣れ”として受け付けない。毎日目にする書類には、交通事故やいじめなど心が締め付けられる悲哀な内容ばかり。だが最近、感慨深くも儚い豆知識を聞いた。たぬきの夫婦は、一度決めたパートナーを一生大切にする。其れ故、相手が交通事故で亡くなれば、もう片方も同じ様な目に遭おうとそういった場によく出没するらしい。この話は、花のよく似合う同僚が教えてくれた。
「御免なさい。少し離席するわ。」
隣にいる同僚に一声掛けると、急かす様に足を早め外に出る。大きな溜息をつきながらしゃがむと、目の前に倒れた鳥の死体が瞳に映し出された。
「おい、目乙木。鳥の死体なんぞ見てんじゃねぇよ。今回は致し方ないと思え。…あ、そうだ。煙草でも吸うか?それとも、今日は一杯飲んでから帰るか?」
「?…何、久納も離席したの?貴方は戻った方が良いんじゃないかしら?ワタシに構わず早く戻りなさい、さあ早く。」
「うるせぇな。さっきから顔色が悪いから心配して来てやったんだろ。…それに、この後は時間がかかる作業にはいっから、飯でも食って待ってろって事だとよ。」
慣れた手つきで懐から電子煙草を取り出し、心の底にへばりつく闇を吐き出す様に煙を吐く久納。
「…ねぇ、其の煙草…今はやめたら。」
「あ?目乙木に止められても止めるつもりはねぇぞ。お前も吸うか?」
「馬鹿ね。…覚えてないの?朝霧は”煙草の煙たさはどうも苦手だ。恐らくだけど、俺が70になろうと拒む事はやめないと思う。”って言ってたじゃない。」
「んあ?そう…だったっけ、か。」
目乙木に指摘され渋々電子煙草を懐に戻すと、気だるげな顔で呟いた。
「…あ、そうだ。聞いてくれよ、目乙木。今日な俺が出掛ける時に娘がこんな手紙くれたんだよ。」
「手紙?…えぇと、《おとうさん だいすき》ねぇ…。娘に愛されてる良い父親って感じで素敵じゃない。」
目乙木が頬を緩ませながら、口元に手を添えてにまにまと笑うと、久納はかっかっかと楽しそうに笑いつつ、娘から貰った手紙を愛おしそうに眺めていた。
「…悪いな、こんな長話に付き合わせちまって。つかお前、もう徐々戻った方が良いんじゃないか?遺族の挨拶とかまだ済ませてねぇだろ。」
「そうね。…でも、それなら貴方も戻った方がいいんじゃない?ワタシ、この崩れた顔の中で挨拶に行くだなんて、申し訳なくて心苦しいもの。」
「別に崩れてねぇだろ。俺はそこで缶珈琲でも飲んで一息ついたら行く。…あ、そうだ。今夜はいつもの居酒屋で飲んで帰ろうぜ。」
勢いよく肩を叩きながら、爽やかな笑みを浮かべる久納に、「今夜は貴方が”帰る”って言うまで付き合ってあげるわ。」と呆れ顔でありながら優しい声色で返答した。
……
赤に塗れ、酸素切れになった身体でも普段通り変わらぬ笑みを浮かべ、冷たくなった末、皮膚を溶かされ骨と化した同僚であり、大切な仲間の姿など、あまり視界に入れたくはない。そして、そんなものを想像する日など永遠に来ないと思っていた。
「もう少し…あと少し、耐えて、…いや、耐えなさい…───!!」
「いいよ、もう。このままだとネキが貧血で倒れるか、それか…ッ、げほ、げほ…」
「いいから!!喋らないで、いいから…ゆっくり深呼吸して、意識、…が」
「…ん、?…ふふ、どうか、した、?…俺ね、ネキや久納クンと会えて、すんごくうれしかった。こんな終わり方はみっともないし、かっこよくないって分かってる。けど、」
「黙っ、て…これ以上、はなしたら、…もう、何もいみがなくなるわ。」
「いいの。おれのはなし、最期まできいて。…犯人は久納クンがおってくれてる。だから、ネキだけでもここにいて、おれのはなし、きいてよ。」
「…わか、ったわ。けど…無理、だけは…絶対に、しない…、────あさ、ぎり…?…ねぇ、朝霧!起きなさい!!何でそんな儚い顔で、笑っていられるの、駄目よ…貴方はまだ、…!!!」
視界が歪んで見えなくなった。そして、身体に激痛が走った末、視界が赤く染まる。そこで目乙木の記憶は途切れ、次に瞼を開いた時には救急車の中だった。
目乙木は、仲間が枯れた花の様に散っていく姿を見たそれ以降から、類似した場面に訪れると、自分の命を安い物として扱う様になった。それを常識論の観点から見て、《其の考え方は今直ぐにでも止めるべきだ》という意見を押し付けられても、例えゾンビに噛まれる仕打ちを受けようが、宇宙人に知らぬ惑星に誘拐されようが同じ事が言えるだろう。
何故なら、《自分の命の値段はワタシが決める》が目乙木の座右の銘であるから。
…
もう直ぐ、純白の味気無い姿の友人が戻ってくる。どんな顔で迎えれば、彼は喜んでくれるのだろうか。彼の様に柔らかな笑みを浮かべる事?それとも、自分を庇った事に対するやるせない複雑な気持ちをぶつけること?
《ネキは笑顔が一番!》
疲労困憊で虚ろな表情を浮かべる目乙木に、元気を与える魔法のおまじないと教えてくれたあの言葉。もう、あの声も、彼の姿も、笑顔も、何もかも見れないのか。
時計が1と3を指した。普段のこの時間は、仲の良い同僚も含んで、子供じみた雑談会を設けていた。だが、そのうちの一人が欠けた今、その会が開催される事はもう二度と無いだろう。
「もう直ぐ新たな形で会えるのに、久納ったら遅いわね…。」
近くの職場の人々の会話から拾い上げた”久納のやつ、先刻から全然見ないな。”という言葉が耳に入る。缶珈琲を飲んだら戻ると聞いたのに、一体何処へ行ったのか。
「課長、ワタシが探してきます。」
上司に一言伝えると、後ろから誰かに追われている訳でも無いのに、無意識に焦燥感が目乙木に襲いかかる。広々としたエントランスホールの窓から見える外の景色。先程までは清々しい青空だったのに、今では曇天だ。
「可笑しいわね…。久納が居そうな場所に焦点を当てて探しているのに、未だに見つからない。…これ以上時間を押して探しても無駄ね。誰かに聞くしかないわ。」
泣きじゃくる子供や栄養を十分に補充しているのか不安になる顔色の母親の傍を通り過ぎ、いつの間にか火葬室の直ぐ傍まで来ていた。焼け焦げた匂いや、黒に身を包む人間がぞろぞろと現れる姿は、今の目乙木にとって猛毒ともいえる。あまり視線を合わせずに通り過ぎると、静寂とした光の薄い廊下に辿り着いた。
「…すみません。多忙な恐縮ですが、先程此処のエントランスホールで知り合いとはぐれてしまいまして、顔に子供用の絆創膏を張りつけた眼鏡姿の男性を見かけていませんか?」
「…」
自分よりもやや小柄でしゃがんで作業をしている職員に話しかける。だが、背後から話しかけた為か全く声が届いていないようだ。
「…すみません、今少しお時間宜しいでしょうか?」
「…」
肩を優しく叩きながら声を掛けるものの、びくともせずに何も反応しない職員に、彼の職業柄身についた能力の視点からある懸念が生まれる。
「…すみません。作業中の所恐縮ですが、幾つか質問させて頂いてもよろしいでしょうか。」
「ん、あは、は、おいし。あぇ?どしました?」
歪んだ顔で振り向く職員。ライムグリーンの髪色に薄ら色付いた赤に、アメジストの瞳は肉食動物が獲物を捉えた時と酷似している。彼女の傍には、見覚えのある姿が寝転がっている。
「…すみません、先程エントランスホールで知り合いとはぐれてしまいまして、顔面に子供用の絆創膏を眼鏡の男性を探しているんです。」
「さあ?しらんなあ。…あ!でもね、…おえ。さっきね、こんなの誤飲しちゃってさ。どうせならもってけば?」
触覚のような横髪を弄りながら彼女が指差す先には、目乙木が探している同僚の眼鏡と思わしきものが乱雑に投げ捨てられている。レンズはヒビが入り、眼鏡とそれが置かれた床には、液体で濡れた跡が残っている様に見えた。
「いやねぇ、それすっごくまずいよね!たべたことある?変な味しない?のどにつまっちゃいそうだしぃ〜!」
彼女の口内からちらりと顔を出す尖った歯が赤に染っている事に、先程の懸念が確信へと変わる。
「ッうわ、何きゅーに!なんでうでつかむの?ねー、いたーい!」
「今口に含んでいるもの、そして貴方が食べた物について全て吐き出しなさい。」
余程硬い物を食べていないと出ない音を口内から響かせる彼女は、困惑と気怠げな表情で子供の様にいやだいやだと抵抗する最中、ふと彼女の傍に気になるものが落ちていた。
「…之だけ汚れも何も付着していない。…何かのメモかしら。」
顔を顰めたまま不規則に折りたたまれた折り紙を開くと、《おとうさん だいすき》と書かれた不慣れな字と少女の名前が残っていた。
「ん〜?なになに、Φもみたーい!!…て、あれあれ??どしたの、急にしゃがみこんじゃって。おつかれもーどってやつ?わかるわかる、でもこういう時はね…こうすると…」
口周りに赤くべっとりしたものが付着した口が徐々に開かれる。粘着質な口内から、同僚を探す特徴として例を挙げていた子供用の絆創膏と指、それから潰れた目玉の様なものが見えた。
「…あ、零れちゃった。勿体ない勿体ない…まえはおばちゃんが洗ってたべないとフエーセーだろっていってたけど、ガマンできねーや!」
がぶりと切断された腕の手首をガシッと掴むと、フライドチキンに噛み付く様に筋膜を引き剥がしながら骨を露わにする。
「?…やっぱそんなに食べたかったの〜?もう、そうならいってよぉ!」
「い、…いや……」
「うん?なんて?」
「いや…いや、…いや…!!!!!」
まぁまぁ落ち着いて、と宥める血塗れた職員の懐から 《久納 晏伍》(くのう あんご)と書かれた、血塗れた警察手帳が落下する。その後、廊下中に我慢の歯止めが効かなくなった目乙木の金切り声が響き渡った。