プロローグ
私はまだ夢を見ていた。とても長い、過去の夢を─。
1.鬼殺隊
「育手…」
私は長の男(後に産屋敷耀哉、という名前だと知ったのだが…)に渡された地図を見た。男に言われたことを脳内で繰り返す。
『鬼殺隊に入るには、まず”育手”と呼ばれる者に育成してもらわなければならない』
『そだて…?』
私は首を傾げた。よく分からない。
『文字の通り、剣士を育てる者のことだよ。それぞれの場所、それぞれのやり方で剣士を育て、最終選別に送るんだ』
『さいしゅうせんべつ…?』
先程からオウム返ししてしていなくて恥ずかしくなってくる。それでも、1ミリも聞き逃さないようしっかりと耳を傾けた。
『藤襲山での選別試験のことだ。それに生き残れば隊士となれる。皆のために命をかけて戦ってくれる子供たちがいて本当に嬉しいよ』
お館様、と呼ばれる男は優しく微笑んだ。その笑顔はさながら暖かい陽の光のようだった。
要は育手の元で訓練をし、最終選別というもので生き延びればいいのだ。少女はやっと理解した。
『ただ、育手の元にいるのは最低でも2年程。その間とても辛いことが沢山あるかもしれない』
『に、2年…!?』
『でも、君は最後までやり遂げられると信じているよ。私はずっと待っているからね』
2.育手の元へ
脳内再生が終わった頃、丁度とある家の前に来ていた。
「ここ…?」
小さな家だった。後ろに竹が生い茂っている。私の住んでいた家と少し似ていた。
「剣士になりたいと言うのはお前か?」
「!」
後ろを振り返ると、1人の老人が立っていた。見かけはかなり歳をとっているのに、杖も何も持たずに自身の力だけで真っ直ぐ立っていた。
「儂はお前の育手となる霧鳴だ。まずは実力を見る。さぁ来い」
「は…え!?」
きりなき、というこの老人が構えをとってこちらに向いた。突然すぎて訳が分からなかった。
「えっ…えっと…あの」
すぐ横で何かが通り過ぎた。そう思った時。
ガッ!!と首筋に凄まじい衝撃を受けた。
「ッ…!!」
私はそのまま倒れ込んだ。思わず嘔吐く。
霧鳴が私の首に手刀を打ち込んだのだと理解するのに少し時間がかかった。
「剣士は咄嗟の判断力が必要だ。今のお前ではすぐに死ぬ。…名はなんと言う?」
「ゲホッ…影沢…かげさ」「影沢、呼吸というのを知ってるか?」
なんなんだこの老人は。名前を聞かれたから答えたのに最後まで聞かないこの傍若無人ぶり。影沢はオロオロした。
「呼吸って…あの吸って吐くやつ…」
「阿呆。ただの呼吸ならわざわざ知ってるかなんぞ聞かん」
たしかに、と私は思った。何故だか、昔から他人からは苗字で呼ばれることが多い。
「”全集中の呼吸”というのは、人間が鬼殺をするにあたって一番大事なものだ。鍛えに鍛えた心肺で大量の酸素を取り込んで、鬼のように強くなる。これを習得して初めて不死身の鬼と渡り合えるのだ」
「お、鬼って不死身なんですか…!?」
「そうだ。日光か、日光を吸収させた特別な刀でしか殺せない。呼吸というのは非常に様々なものがある」
私はグラグラする頭を我慢しながら立ち上がった。まだ痛い。
「例えば…どんなものがあるんですか?」
「水、風、岩、雷、炎。この5つが基本の呼吸だ。そこから自分に合うように考えて派生していったものがある」
「なる…ほど…」
「儂が教えているのは”霞の呼吸”だ。霞は風から派生したもので、筋肉の弛緩と緊張を常に意識して正確無比な足捌きを習得しなければ使えない」
ただ、と霧鳴が自身の顎に手をやった。
「ただ、霞の呼吸を使う女隊士は今のところ見たことがない。霞の呼吸は高速移動が鍵となる。お前にはそれができるか?」
霧鳴に問い詰められる。心臓の鼓動が速くなっていくのが分かった。
もしかしたら。
できないかもしれない。
剣士に向いていないかもしれない。
志半ばで死ぬかもしれない。
でも、でも─。
「やります」
影沢は真っ直ぐ霧鳴を見た。
「できなくても、才がなくても、私はやらなければならないんです」
お願いします、と私は深く頭を下げた。
「…」
何処までも広がる竹林に静寂が漂う。ザザ…と風の音がする。
「良いだろう。儂が知っている全てをお前に教える。着いてこい」
こうして、私の剣士になるための修行が始まった。
3.修行
ザザーッ!!と、大体今で言う3mくらい後ろまで吹っ飛ばされた。
口から血が垂れてきた。私はそれを乱暴に拭いとる。鉄の味がした。
なんとも思わなかった。裂けたのかと思う程痛くなった肺も、傷だらけの体も。
家族を喪った痛みと比べれば、全然辛くなんてなかった。
ただ、霧鳴さんはとにかくスパルタ。こんなふうに毎日後ろに吹っ飛ばされて血まみれになる。日常茶飯事だった。
それもただ、鬼への憎しみ、家族を喪った悲しみだけが原動力だった。
走り込み、素振り、山登り、呼吸法。
血反吐を吐くような、血の滲むような、気を失うような努力をして。
早くも2年が経った。
雄の熊よりも大きな岩を動かし、両断し、更に霧鳴さんに一撃を入れた時、霧鳴さんが言った。
儂はお前を認める、と─。
「ほ、ほんとぅ…ですか…!?」
私は息も絶え絶えに聞いた。ほぼ声が出ていない。
「あぁ。儂の指導は終わった。忘れていたよ、儂も」
霧鳴さんが笑みを浮かべた。
「血の味というのはこういう味だったな」
そう言い、私の頭を撫でてくれた。
霧鳴さんの手は、もうずっと前の、お母さんの手と同じ温かさだった。
続