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ワンクッション
「ひぃ~~……」
「ほらほら、がんばれグルッペン。あと2セットだ」
これまでに見たこともない形相で、グルッペンはエーミールの監視のもと、ベンチプレスを続けさせられていた。
「キミが読書家で勉強家であるのは結構なことだが、その若さで腹がたるんできているのは、如何なものかと思いますよ?」
「そっ、そう言うエーミールはっ、どう、なんだッ!」
「私はほぼ毎日、キミの倍以上のメニューをこなしていますが」
「マジ…っか!」
言われてみれば確かに、着痩せして見えるがエーミールの身体はそこそこに筋肉質で、かなり絞り込まれている。残念ではあるが、エーミールの言う通りグルッペンも太っているわけではないが、たるんでいるのは否めない。
同じ思想家であると思っていたが、辿る道筋の違いを、グルッペンは思い知った。
「ハロー、ミスター・エーミール。そちらの方は?」
やっとベンチプレスが1セット終わったところで、トレーニングウェアに身を包んだ赤毛の女性が、エーミールに声をかけてきた。
「こんばんは、ミズ・ブラウン。彼がルームメイトのグルッペン・フューラーです。グルッペン、こちらは、ミズ・ブラウン」
「あら、そうなの。はじめまして、ミスター・フューラー」
「グルッペンで……、かまいませんよ、ミズ・ブラウン」
「ジムは初めてなのね?頑張ってね、ミスター・グルッペン」
「ありがとう…、ございます…」
ミズ・ブラウンは二人に手を振ると、更衣室へと行ってしまった。
エーミールはグルッペンの隣のベンチに横になると、グルッペンの倍量のウェイトを取り付けていたバーベルを上げ始めた。
「あの方は、H社CEOの夫人ですよ」
「あの、大手保険会社のか?……なるほどね。手が早いな、キミは」
「この手のジムに足しげく通うのは、気の緩んだ意識高い金持ちが多いんでね」
「…ははっ。情報の収集には、都合がいいな」
「さて、グルッペン。休みすぎですよ。ベンチプレスあともう1セット、頑張ってください」
「これやったら…、おしまいでいいか?」
「まだです。ベンチプレスの次は、ラットプルダウン、その次はアブドミナル行きますよ」
「いや、もう、無理……」
「今週はまだ慣らしです。来週からメニュー増やして行きますからね」
「ええ~」
「その代わり、当面の食事当番は、私が担います。貴方に任せると、外食かデリばかりになって、バランスが良くない」
「キミの料理が食えるのはありがたいが……。美味い料理を頼むよ」
「カロリーと栄養バランスを考えた上で、一応の努力はしましょう」
「一応、なのね……」
意外に厳しいエーミールによるダイエット計画に、グルッペンは一抹の不安と、彼に手をつけてしまったことへの後悔を覚えたのだった。
口の達者なエーミールにですら言い訳できないほど、エーミールとグルッペンの関係は確固たるものとなったことに、最初はグルッペンもご満悦であった。
そう。
最初は、ようやく肉体関係を結べ思いを遂げたことに、グルッペンは満足していた。
だが、その先があるというか、そもそもいろんな過程をすっ飛ばしている関係のため、グルッペンとエーミールの間に齟齬が出てくるのは、致し方がないことかもしれない。
「そう言えば、せっかく僕らは恋人同士になれたというのに、ちゃんとキスすらしていないのでは?」
共用部屋のソファに腰掛け本を熟読しているエーミールに、グルッペンは背中から抱きつくと耳元で甘く囁いた。
エーミールは微動だにもしなかったが、読んでいる本から目を離さないで、にべもなく返答する。
「僕はキミと恋人同士になった覚えはない。セックスしただけで恋人になれるという幻想は、捨てた方がいいですね」
「それこそ、コミンテルンやファシズムが必ずうまく行く、という独裁者の幻想と変わりませんよ。グルッペン」
エーミールはニヤリと笑って言い捨てると、読んでいた『我が闘争』の初版本で、グルッペンの頭を軽く小突いた。
「痛いな」
「大事な本で叩いてしまったことは、お詫びします。申し訳ございませんでした、総統閣下」
「謝るって、本と執筆者にかーい」
グルッペンはエーミールから本を受け取ると、ついツッコミを入れてしまった。
「そう言えば、最近貴方の思想に共感したお仲間が、随分と増えましたよね。それに、体格も精悍になってから、女性のお仲間も増えたようですし」
「体格改造はキミのおかげだよ。体力もかなりついたしな」
グルッペンはシャツをめくって、たるみがなくなった腹を自慢気にエーミールに見せた。エーミールは口の端を吊り上げ、ニヤリと笑う。
「それはよかったです。ついでにお仲間の中からでも、素敵なガールフレンドを見つけたら如何ですか?」
「男女問わず、信者との議論というのは、面白くないぞ。イエスマンは駒としては都合がいいが、新たな知見は得られることはない」
「殊勝な心掛けですね。様々な意見を聞くということは、良いことですよ」
「だから、キミとの議論は楽しい」
「私もですよ。貴方の話は、実に魅力的です」
「今度エーミールも、集会に来ないか?キミの話を、連中にも聞かせてみたい」
「残念ですが、私はそんなにヒマではないのでね。今は論文に集中したいんです」
「政治には興味はないのか?」
「興味はないとは言いませんが、政治の渦中に身を置くつもりは、さらさらありませんね」
「そんなに教授職が魅力的かね。政治と一緒で、かなりの泥沼だと聞くぞ?」
「ですね。でも、肩書きを得られれば、情報の量も質も、今よりはるかに良くなる」
「まあ、キミらしいと言えば、キミらしい選択だな。応援するよ」
「ふふっ。ありがとうございます」
「……まったく。本当はキミとは甘い恋人同士のトークをしたかったのに、結局は議論に持っていかれる」
「恋人同士ではないから、それは無理ですね」
エーミールはソファから立ち上がると、大きく伸びをした。
「さて、息抜きはこれくらいにして、レポートの続きといきますか」
自室に戻ろうとするエーミールの手を、グルッペンが掴み行く手を止めた。
「未来の高名な教授殿に、ぜひともキスの仕方をご鞭撻いただきたいのだが」
「……どうせキスだけではすまないでしょう?セックスしたいなら、最初からそうおっしゃいなさい」
グルッペンの間にある見解の齟齬。強欲なロマンチストであるグルッペンに対し、エーミールは目的のために手段を選ばないリアリスト。
それは二人のセックス感にも出ていて、若干夢見がちなグルッペンに対し、エーミールは手段のひとつとバッサリ割り切っている。
お互いに求めているものが違う以上、認識の差異はどうしても出てきて、すれ違いが起こる。
「言ったらセックスさせてくれるのかい?」
ニヤリと笑って、グルッペンが問う。
エーミールもまた不敵な笑みを浮かべ、グルッペンの手を払う。
「お断りします。もう貴方と寝るメリットは、ない」
「つれないねぇ」
「何か面白いお話でもあれば、考えてもいいですけどね。では、おやすみなさい」
そう言い放つと、エーミールは自室へと入って行き、中から鍵をかける音が聞こえた。
何人たりとも部屋に入れないという、固い意思が垣間見得る。
「エーミールが知り得ず、かつアイツが興味ある情報か。……難問だな」
グルッペンはそう言って口の端を上げて笑うと、ソファに転がり『我が闘争』を読み始めた。
【続く】