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ワンクッション
「エーミール。起きているか?」
エーミールの部屋のドアをノックするも、返事はない。ドアノブを回しても、鍵がかかっている様子はなかった。
「入るぞ」
返事も待たず、グルッペンはエーミールの部屋に入っていった。
うずだかく積まれた本の山の中に、ぽっかりと空いたテーブルの下。長い足を折り畳んで『巣穴』に潜り込んでいるエーミール。
「……本当にそんな感じで寝てるのか」
グルッペンは呆れたような苦笑を漏らすと、エーミールの側に腰をおろした。
頭から毛布を被って丸まっているエーミールを起こそうと、肩の辺りに手を掛けたその時、エーミールの呻く声が聞こえた。
「……ッ、……!……ッ」
グルッペンは最初、エーミールの言葉がわからなかった。
英語でもない。ドイツ語でもない。中国語でもない。
「……日本語……か?」
生まれも育ちもE国のエーミールが、寝言で日本語ということに、グルッペンは驚きを隠せなかった。
エーミールが何を言っているのか。
日本語の知識を総動員し、グルッペンはエーミールの寝言に耳を傾けた。
「……けて、助けてよ、ユカリさん…」
「ユカリ…さん?」
エーミールから聞いたこともない、おそらく人名であろう言葉。
「痛いのは…もういやだ……。助けてよ、ユカリさん…、こわいよ……」
顔の部分にかかっている毛布をそっと外せば、確かにエーミールは寝ていた。
「そばにいて……。置いて…いかないで…」
閉じられたエーミールの目から幾重にも流れる涙と、嗚咽混じりの寝言に、グルッペンはただ黙って見守るしかなかった。
グルッペンは持ってきた毛布を、頭からエーミールにかけると、静かに部屋から出ていった。
その後の雑務をこなしていたグルッペンも、さすがに疲れがたまっていたのか、いつの間にかソファで寝落ちしてしまっていた。
グルッペンが起きたのは、エーミールの部屋のドアが大きな音を立てて閉められたから。
「…なんだ?」
「おはよう、グルッペン。この毛布はキミのだな。後で洗って返すよ」
「エーミールの匂いがついたままで構わんが」
「洗剤と漂白剤を大量投入の上、熱湯で消毒してから返す」
「徹底してるなぁ」
グルッペンは苦笑を浮かべると大あくびをして、再びソファに横になった。
「……見たのか?」
毛布を持ったエーミールがランドリーに向かいながら、グルッペンに背を向けたまま尋ねる。
エーミールの真意も知らず、且つ眠気であまり頭の回らないグルッペンは、思ったままを答えた。
「ああ、見せてもらったよ。可愛い寝顔だった」
「……そう、か」
皮肉や嫌味が返ってくるかと思えば、拍子抜けなほど素っ気ないエーミールの返答に、グルッペンは違和感を感じた。
「エーミール?」
「グルッペン。自分の部屋のベッドで寝ろ。こんなところで寝てる貴様も、人のことは言えないだろう」
エーミールは素っ気なく言い放つと、顔も見せずに足早にランドリーに去っていった。
「はっはっ。思いの外、怒らなかったな」
グルッペンは再び大あくびをすると、そのまま目を閉じた。
まあいい。誰にでも、隠したいことの一つや二つは、あるものだ。いずれベッドの中ででも、甘い声で教えてもらうとするか。
そう考えながら、グルッペンは微睡みの中へと、ゆっくりと堕ちていった。
グルッペンが寝息を立てたのを確認し、エーミールは持っていた毛布をすぐさま洗濯機に放り投げ、バスルームへと足を運んだ。
こっそりと右手の中に忍び込ませていたのは、カラカラに乾いた色付きのコンタクトレンズ。エーミールは乾いたレンズを粉々に砕くと、洗面台で水と共に流した。
ズボンのポケットからコンタクトレンズのケースと携帯の保存液を取り出すと、急いでカラコンを装着した。
一秒たりとも見たくない。
バケモノ扱いされ、嘲られてきた、醜い自分の目を。
カラコンの存在を知ってから、エーミールは色味のある瞳を手に入れた。普通の人間と変わらない、色素を帯びた瞳。
カラコンの色は何でも良かった。でも、できれば『あの人』と同じ色にしたかった。
だから、髪の色も『あの人』に近付けた。
「髪も……染め直さないとな」
よくよく見れば、生え際の髪色が少し変わってきている。
グルッペンの寝ているうちに済ませようかと思ったが、聡い彼には、臭いで勘づかれてしまうだろう。
グルッペンがフランコからどれだけエーミールに関する情報を引き出せたのか、ついぞわからずじまいである。だが、先程のやり取りから察するに、グルッペンはエーミールの『擬態』には気付いていない。確証は持てないが、そう願うしかない。
近いうちに美容室に行かないと。
仮初めに造り上げた『普通』を装った風貌に潜む、色素の薄い『バケモノ』の姿。
洗面台から顔を上げると見える、鏡に映る己の姿に、エーミールは怒りと吐き気を覚えた。
お前さえ。
お前さえいなければ。
鏡に映る己の姿に重なって見える、色素の薄いおぞましい『バケモノ』に対し、エーミールは苛立ちと殺意を持って拳を振り下ろす。
ガラスの割れる大きな音に、グルッペンは目を覚ました。
「何だぁ?」
グルッペンは外していたメガネを手探りで探しだし装着すると、音がしたバスルームの方へと飛び出した。
バスルームに入ると、そこでグルッペンが見たのは、驚愕の光景だった。
「何をしている、エーミールッ!!!!」
そこに呆然と立ち尽くしていたのは、割れた鏡の中に血まみれの拳を突っ込んでいたエーミールの姿。
グルッペンの声に僅かに意識を取り戻し、幽鬼のような顔をゆっくりとグルッペンに向けていく。
「ああ……。すまない、グルッペンさん。鏡の代金は……弁償…する……」
「そういうことじゃないッ!!これは一体、どういうことだッ!!」
血が流れ出るエーミールの右こぶしをタオルで押さえ、グルッペンが詰め寄る。
「すいません…。掃除は…しますから……」
「そうじゃないと言ってるだろうッ!」
気味の悪い薄ら笑いを浮かべつつも、エーミールの視線は定まっていない。グルッペンに叱られていても、どこか上の空である。
「……エーミール。来い」
「まだ…片付けが……」
「いいから来るんだ」
グルッペンに手を引っ張られ、エーミールはされるがままにグルッペンの部屋に連れ込まれた。
「傷口を押さえておけ。で、そこに座れ」
言われるまま、エーミールはグルッペンのベッドに座り、手を押さえる。
グルッペンはエーミールの前に膝をついて座ると、手の傷口を確かめる。出血の割に、傷はそれほど深くなさそうで、消毒と止血だけでいいと、グルッペンは判断した。
「……片付けを…しないと…」
「……誰が怒るんだ?」
それまでぼんやりとし、弛緩していたエーミールの身体に、その一言で緊張が走った。
「……誰に殴られる?誰がお前を、痛い目に合わせてきたというんだ?」
「あ、あ……」
震えて怯えるエーミールの手を、グルッペンは包帯を巻きつつも強く握って離さない。
「逃げるなよ?エーミール」
包帯を巻き終わると、グルッペンはエーミールの隣に腰掛け、エーミールの身体を包み込むように抱き締めた。
エーミールの身体が緊張でビクリと跳ねるが、大きな腕の中に包まれ逃げられない。
「鏡の中に誰を見た」
「!!」
やはり見られていた?
エーミールに緊張が走った。
エーミールの身体に力が入った事を腕の中に感じたグルッペンは、エーミールを更に強く抱き締める。
「まだフランコの幻影が見えるか?それとも、御父上か?叔父上か?」
グルッペンの口から続けざまに出された人物に、エーミールは己の不安が杞憂であったことを知り、安堵した。
やはり目は見られていなかった。
だが、新たな不安の種が、グルッペンの腕の中で沸き上がった。
グルッペンはエーミールの一連の動きから、過去のトラウマがエーミールを機械的に動かしていると判断し、鏡の中にその影を見たと推測した。
確かに間違いではない。
「鏡の中に……『バケモノ』が…いた……」
「『バケモノ』は、誰だ?」
グルッペンの問いかけに、エーミールは声を詰まらせる。
「答えろ、エーミール」
有無を言わせぬグルッペンの言葉に、エーミールは少しの間逡巡し、恐る恐る口を開き、震える声で語り始めた。
「…男を誑かし…破滅に導く…『バケモノ』…」
「!!」
やっとの思いで絞り出したエーミールの言葉に、グルッペンは全てを察した。
エーミールを恐怖たらしめているのは、エーミール自身。
「生きていくために…のしあがるために…騙し、誑かし、奪う。俺は…『バケモノ』なんだ…」
「違うぞ、エーミール!」
「違わないッ!!事実、お父様も!叔父上も!そして…あの男も!みんな…ッ!!」
「……キミもだ、グルッペン。このままでは、いずれ…キミ、も……」
心の底からの悲痛な叫び、そして恐れを、エーミールは吐露してきた。
限界だった。
必死で塞いでいた地獄の蓋が、音を立てて壊れ、エーミールの中に渦巻くどす黒く凝り固まった何かが溢れる。
終わりだ。
エーミールは、自分の中の何かが壊れ、溶け出して行くのを感じた。
このまま消えてしまえばいい。
エーミールの視界の隅に、グルッペンのM39が映った。グルッペンがフランコとその一味の、エーミールがジョージの命を奪った、あの拳銃。
咄嗟にエーミールはグルッペンの腕の中をすり抜け、M39に手を伸ばし、虚ろな表情を浮かべて銃口をこめかみに当てた。
【続く】