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下女に、教えられた渡り廊下から、母屋へ繋がる縁側へ足を踏み入れた所で、黄良は、立ち止まった。
「よし、怪しまれなかったな。童子よ、お前も、覚えとけ」
「あー、わかったよー、最後は、色仕掛け、と」
ふん、と黄良は、鼻で笑うと、童子に帯を解かせた。
「いつも通りだ、いいな」
言って、懐から先程の書き付けを取り出すと、帯に挟み込み再び、童子に巻いてやる。
「いいな、春香の篭《かご》は、すぐ先、門の所で待っている。お前の懐頃のモノを落とすんじゃねぇーぞ。篭まで、行ったら、くすねたモノを、舁《か》き手に渡せよ」
「わかってるよ!」
「わかっててもだ!油断するな。さっきの下女が、勘づく事だってある」
黄良の言葉に、童子は、はっとして、顔を引き締めると、縁側から飛び降びおり、そのまま仲間の舁《か》き手達が待つ、門へ駆け出した。
「さてと、そろそろ、宴をお開きにしなきゃーなあー、ずらからねぇーと、こっちの、正体が分かっちまう」
そう、春香一行は、宴に呼ばれた屋敷で盗みを働いていた。
と、言っても、呼ばれる先は強欲で、不正ばかりおこなう輩。
ため込んでいる金品も、元はと言えば、貧しい農家へ無謀な年貢をかけて、せしめたもの。
春香達は、宴に興じて金目のものを盗みだし、食うに食えない物達へ、分け与えているのだった。
それほどまで、この南原の政《まつりごと》は、乱れきっていたのだ。
「どうやって、春香を連れ戻すかねぇ」
黄良は、呟いた。
春香を呼ぶほどの宴──、つまり、役人への接待であり、春香を差し出して、機嫌を取るという段取りのはず。
主宰の、商人も引かないだろう。
確かに、春香の役目は芸を見せるだけではない。だが、春香は、れっきとした、妓籍に名を連ねる妓生《キーセン》なのだ。
本来は、官位をもった者を癒すという役目柄で、いくら金持ちであろうと、商人ごときを相手にしてはならない、という決まり事がある。
むろん、招かれている、主賓は、地方の役人。ただ、官位持ちといっても、下っぱも、下っぱ、春香が言葉を交わす相手でもない。
世間では、見下される立場にいるが、実は、春香は、お上に管理される女。それなりの決まり事があり、身の保証もされているのだ。
ところが、今の、長が就任してから、実に、やりたい放題で、決まりもなにも、あったものではない。
自分の望んだ女は、春香のような、いわば、玄人だろうが、農家の素人娘であろうが、思いのままに手を出していた。
そして、当然、下々の意識も準じて行く。
きっと、今夜も、春香だけを残して帰れと言われるはずだ。
「まったく、妓夫、って役柄も、大変なんだって、春香も、わかってくれよなぁー」
愚痴りながら、黄良は、頭の中で策を練る。
なぜだか、店に招き入れた、男、夢龍の事がよぎった。
「あいつ……、どっち側の人間なんだ?」
つと、こちらの力になってくれるのではなかろうかと、そんな、幻想の様なものが沸き起こる。
黄良は、あまりにも突拍子ない事と、自分の考えを笑った。